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日々の暮らしのなかで

モデル

2006年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム
モデルがショーへの出演を拒否された。理由は「やせ過ぎ」らしい。

僕にとって、またまた“どうでもいい”ニュースが流れてきた。

(しょうもない)

主催者側の言い分と、モデル達の言い分が流れていたが、
どうでもいい。早い話が、

「痩せたモデルは使わない」

と言っているだけの話じゃないのか?

どんな服を着ても決まってるし、体型維持の為には、
結構な努力が必要だろうとは思うけどね。
それに、有名な“トップデザイナー”なら、誰が着ても決まる
服を作る事こそが“いい仕事”だと言う事なんだと思うが。

“俺の作った服を着たかったら痩せろ!”

的なファッションショーは、あまり興味がない。
悪く言えば、現実味の無い世界だ。

僕個人の好みを言えば、ポッチャリやムッチリした女性の方が好きだ。
これはある程度、男性諸君なら賛同を得られる意見だと思う。

ただ、女性は男性が思う以上に“ダイエット”に励み、
理想の身体を目指す。まさに

“モデルのような体型”

こそが、かっこよくて自分達の目指すモノらしい。

少々エロチックな話になってしまうかも知れないが、
僕は、女性の身体の“曲線”ほど美しいモノはないと思っている。

温かさを感じる“ニットの胸の膨らみ”や、スカート姿のふくらはぎ。
ジーンズ姿のお尻のラインなんて、まさに“芸術品”だ。

個人的には、バイクに乗る女性のヒップラインは
この世で一番美しい“曲線”であると思う。

“くびれ”のある身体は美しいと言われる。これはわかる。
メリハリのあるボディは、多くの“曲線”で成り立つ事にもなる。

しかし、それは“腰”だけで語られる事が多い。

脚。

モデルの凹凸の少ない“まっすぐな脚”を見ても、異性の魅力を感じない。
やっぱり、ふくらはぎは豊かな曲線を描いていてもらいたい。
太股もしっかりとした張りが欲しい。
それでこそ“キュッ”といした足首も映える。

とは言うものの、そこには自分勝手な境界線も存在する。
ポッチャリした女性が好きだと公言していた僕の携帯待ち受けは

“エロテロリスト”インリン・オブ・ジョイトイだった事もあった。

「ポッチャリが好きなんちゃいますやん! 巨乳が好きなんでしょ!」

と突っ込まれた事があったが、私的見解を言わせてもらえば、
インリンは“モデル”体型ではないと言いたい。

必然的に“スマートな女性”には、あまり触手は動かない。
当然、身体目当てだけで近づくわけでもないので、
気の合う女性が“痩せた女の子”の時もあるが、
見た目で勝手に言うなら、断然“ポッチャリ”や“ムッチリ”した女性になる。

じゃ、“エビちゃん”や“押切”から告白されたらどうするの?
と言われれば、答えは決まっている。

「付き合うに決まっているじゃ、あ~りませんかぁ!」

現実味が遭遇率・達成率ともに0%な事を妄想するほど

“どうでもいい”

事は、他にはない。

 






コメント
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