前のエントリで「書くことが好き」と実感していることを書いたが、実は書くのが好きな人って結構いるんじゃないかな?と思う。
それは…この時期の「手帳売り場」に吸い寄せられている人の多さから。
このデジタル全盛の時代にあって、なんで「手帳」とか「日記帳」の類っていまだにこんなに人をひきつけるんだろうなぁ…?フシギ…
私の場合、「文章」を書くことの面白さはデジタルの世界で気づくことが出来たのだが、朝日記を紙の上でつけ始めてから、今更ながら「手で書く」ことの楽しさを再確認し始めている。
人間って本能的に“書く”ことを求めてるんじゃないだろうか。
もしかしたら、外部記憶のツールとしては、「紙に書く」ことが一番人間に合っているのかもしれない、なんて思ったりしている。
(デジタルと違って)「自分の体を動かす」こととも適度にリンクしているから、つむぎだされる言葉も「体」からかけ離れたもの(つまり“頭でっかち”)になりにくい気がするのだ。
「手書き」の文化が中心だったころというのは、実は一番豊かな時代でもあったのかも、なんて思ったり…
おっと、懐古的になるのはよそう。
とりあえず、私が今一番楽しみにしているのは、早々に予約した「ほぼ日手帳spring」だ。
これが届くまでは、どんな魅力的な手帳が現れようと目もくれず待つゾ~!!
…それでも、つい手帳売り場に吸い寄せられてる私…
それは…この時期の「手帳売り場」に吸い寄せられている人の多さから。
このデジタル全盛の時代にあって、なんで「手帳」とか「日記帳」の類っていまだにこんなに人をひきつけるんだろうなぁ…?フシギ…
私の場合、「文章」を書くことの面白さはデジタルの世界で気づくことが出来たのだが、朝日記を紙の上でつけ始めてから、今更ながら「手で書く」ことの楽しさを再確認し始めている。
人間って本能的に“書く”ことを求めてるんじゃないだろうか。
もしかしたら、外部記憶のツールとしては、「紙に書く」ことが一番人間に合っているのかもしれない、なんて思ったりしている。
(デジタルと違って)「自分の体を動かす」こととも適度にリンクしているから、つむぎだされる言葉も「体」からかけ離れたもの(つまり“頭でっかち”)になりにくい気がするのだ。
「手書き」の文化が中心だったころというのは、実は一番豊かな時代でもあったのかも、なんて思ったり…
おっと、懐古的になるのはよそう。
とりあえず、私が今一番楽しみにしているのは、早々に予約した「ほぼ日手帳spring」だ。
これが届くまでは、どんな魅力的な手帳が現れようと目もくれず待つゾ~!!
…それでも、つい手帳売り場に吸い寄せられてる私…
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