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どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

JBが亡くなった

2006年12月27日 | 日記
JBこと ジェームス・ブラウンが亡くなった

子供の頃から既に大御所だった人が亡くなると まだ生きてたんだぁ~なんて思うことがある

彼の場合は最近の来日があったから そうは思わなかったけれどね

ストーンズだって すっかりイイじいさんの年齢になってしまったし 

人の年で はたと気がつく 我の年 って感じかなぁ~

ストーンズで思い出したが 今年の春の来日公演 義兄は甥と出かけた

もう 思い残す事は無い 何時死んでも本望だなんて言ってたら 本当になっちゃったよ

でも 行っておいて良かったぁ~ なんて申しておりました

ついでに 誰か デス・ノートに名前書いたのじゃないか なんて冗談も 姉の顔見ながら^^

お姉さん まさか…ねっ^^

彼 けっこういけてる と思ったな

自称 タフでクールな私の義兄としては まずまずだね

お正月は…

2006年12月26日 | 日記
クリスマスも終わると もう お正月の話だ

一人でどうするのかと訊かれるが まだ何も決めてはいない

決める必要さえ無い自由な身だ

御節を作って 家で飲んだくれるか

それとも 其れを持ってお墓参り

いやいや 東京徘徊とついでに買い物

それとも 少し遠くに出かけてみようか

一日中パジャマで横になったまま 本を読んだり寝てみたり

いっそのこと 部屋の大改造

休みはたったの6日だが 夢は膨らむ

どうあれ きっと 大満足の日々になることだけは間違い無い と 思う^^

カレンダー

2006年12月25日 | 日記
新しいカレンダーを掛ける時期になった

カレンダーは戴くもので 買うものでは無かった頃の話

父はまず カットできるならばだが 会社名を切り取る

そして 気に入った画があると切り取って飾っていた

ルノアールがあったり 河合玉堂があったりした

昨年 カレンダーを買った話は日記に書いた

その一枚目が切り取られる前に 母は亡くなった

出身の大学からカレンダーを送ってくる

寄付の申し込み書と一緒に 創立百何十周年とかいって(勿論寄付などしない)

実にダサイのだが 冷蔵庫にマグネットで止めて愛用している

私のここ数年のお気に入りは CDほどの大きさの卓上のものだ(勿論 貰い物だ)

そこに友人知人の誕生日を書き込む

記念日もだ

12枚のカードの一枚目を後ろに送り 新しい月を迎える

それを繰り返す

12枚目を見るかどうかは 私にも判らない

だが そう信じてカレンダーに書き込む

カレンダーには 未だ見ぬ未来が詰まっている

幸せな日であろうと 悲しい日であろうと 12枚目を見れるって事は やっぱりそれだけでハッピー

って そんなこと考えながら 2007年のカレンダーに書き込みをしてる  

義兄の見舞い

2006年12月24日 | 日記
ドタバタの中 家を出て新宿に向かった

ダイヤはまだ乱れていて徐行運転 ちょっと心配になったが無事到着した

駅のコンビニで夜食となりそうなものを少し買って バスターミナルで待つ

昨年の貧乏旅行以来3度目のバスだが いつでも何処かワイルドさを感じてしまう

眠れないのは相変わらずで うとうととするのだが 押し曲げた足が辛い

何度も何度も目覚めては ひたすら突っ走る夜道をカーテンの隙間から覗き 正面にある時計の数字を眺める

一番左の数字がやっと一つ増えている

家では寝たと思ったら朝なのに 此処では時間の経過が遅い

5時頃 結局口にしなかった夜食を闇鍋状態で食べる

6時過ぎ 福井バスターミナルに到着した

姉から早速電話がかかって 電車よりも同じターミナルから出ているバスで来なさいという

早くね ○○(義兄の名)も早く会いたがっているから

周囲を散策しようかなんて考えていたがまだ暗いし とても朝食を取れるような雰囲気では無いので7時のバスに乗る事にした

O駅を通り過ぎて終点まで行けばマックがあるから 其処でなら食事が出来ると言われたので 姉の仰せの通りに

市内の病院へ向かうお年寄りと学生が降りたら O駅までの乗客は二人きりになった

赤字だろうなぁ~ 断線されている鉄道だって これを機に廃止したいところだというし

O駅から一駅しか離れていないのかと思ったら幾つも停留所を過ぎたので ちょっと心配になってきた

流石の私も 歩いては戻れそうに無いし

終点は だだっ広いところに大型スーパーや家電店が立ち並ぶ場所だった

雲っているが寒くは無い

姉に電話を入れたら 義兄と二人で迎えに来てくれた

お義兄様まで来てくださったのですね ありがとうと言うと まだ死んでいないしねと笑って言う

周囲は山ばかりだ

東京生まれ 東京育ちの姉が 此処で20年近く暮らしてきたのだ

町のメインストリートを通る

少しは有名な朝市が並ぶ所だ

此処は友達の家の老舗の呉服屋 此処は古い偏屈な医者の家 

此処が○○(甥)が通った幼稚園

お義父さん(私の父)に 保育園じゃなく幼稚園にと言われて 二つしかないうちの此処にしたのだと 笑って話す

説明を聞きながら姉の家に到着

お父様にご挨拶をしてから 生徒が一人来るという姉が席をはずして 義兄と話が始まった

病状や家族の事 仕事の事など

何度か東京に遊びに来てくれている義兄だが 実はこんなに会話をした事が無かった

一緒に出かけたことも何度もあるが 私のほうが他人行儀だったのかもしれない

好きとか嫌いとか言う以前の問題であり チャンスの問題だったかもしれない

姉が昼食の買い物に行くからというので 付き合う事にした

その間 話が義兄の事に及んで涙ぐむ場面もあったが それでもしっかり今為すべき事をしていると感じた

昼食の支度と後片付けを手伝った

その後 甥に席をはずしてもらって 少し大人の会話をした

義兄も一度だけ ちょっと涙ぐんだ

話が終わると 義兄がお風呂に行こうという

山の上の温泉だと言って 窓の外の山を指差した

姉が後で私にこっそり話した

○○にね(甥のこと) 背中を流してもらいたいのよ と

カーブの多い山道 これは義兄の運転だ

時雨たり少し晴れたりと 目まぐるしい北陸独特の気候の中 スキージャム勝山に着いた

除雪の雪がほんの僅か残っている程度で 西日本最大級といわれる此処も 客はチラホラ

温泉は貸切状態で 露天では平泳ぎ

(お客さん 泳がないでください~と 姉が言う^^)

お~~い と声をかけたら 男湯の露天からもお~~い と声がかかる

姉と背中の流しっこをする

人生は愉しいとはいえ 今の姉がどんなにか不安で切ないか いつかきっと笑い話 思い出話になると信じながら

私の1.5倍はある姉の背中を 不公平だな~なんて冗談言いながら洗った

将来 新幹線が通るであろう福井駅まで送ってくれたので 食事制限のある義兄でも口にできそうな店で夕食

姉も梅酒サワーを飲んだ

20時過ぎ別れ際に 写真を撮ろうと

とびっきりの笑顔を作った

帰りの深夜バスは こちらに向かった時よりも少しだけ眠れた

バスの中で寝るコツを習得したのか 少し安心したせいか それは判らない

暗い中 家に到着

部屋が暖かくなるのを待って 手足を伸ばして横になれる幸せに感謝しながら寝入ってしまった  

行って参ります

2006年12月22日 | 日記
仕事は急には終われない ってわけで予定をオーバー

お土産をデパートで適当に購入

連休にクリスマスを愉しむ人で 地下はごったがえしてた

私鉄に乗ろうとしたら 滅多に起こらない人身事故が起こって さぁ~大変

頭の中ですぐに迂回路を考えた

バスのチケットは家にあるから 何としても帰らねばならない

幸いなことにノロノロながら動いてくれた

けれど 時間は更に無くなった

急いで頭だけ洗って でかける支度だ

暢気に足跡を返そうと思っていたが もう無理みたい^^

そういえば夕食もまだだった~

仕方ない 新宿で何か買おう

お気に入りのポール・スミスのセーターを着て やっぱりGパンにキャップ被って行きます

明日は一日留守にしますが 皆様は愉しい休日を

では 行って参ります