佐野洋子の本を数冊買った話を以前にした
本屋の平台に「右の心臓」が積んであった
亡くなった兄の記憶を中心に 自分の幼少期について書かれたものである
手に取ってぱらぱらとめくっているうちに 興味が湧いてきた
彼女の母親のことを書いたものが「シズコさん」だった
その2冊のほかに エセーも3冊ほど合わせて買った
一切を知らずに読み始めた「右の心臓」では
戦後まもなくという時代も含めた彼女のバックグラウンドを知ることができた
家族のこと 友人のこと 地域社会のこと
彼女の目を通して語られるものは 子供であるとか大人であるとかは無関係で
彼女ならではの資質から生み出されたものだとわかる
母親との確執がすでにこのころからあったということがわかって
そして次に読んだのが「シズコさん」だった
少なからず衝撃的だった
ずっとずっと 子供のころから母親には愛されていないと感じ 母親のすべてが嫌いだった彼女
親子でも相性というものはあるのだろうか
母の手をさわったことがなかった
抱きしめられたこともないと彼女は言う
見栄っ張りでいつもしゃんとしている母
ありがとうと ごめんなさいを言わない母
虐待ではないかと思うほどに彼女には家事の手伝いをさせた母
教師の夫が同僚や教え子を家に連れて来れば どんなに遅い時間でも機嫌よく手料理でもてなした母
幼い子供を抱えて未亡人になってもしっかり家計を支え 四人の子供を大学まで出した母
老後にはしっかりと小金を貯めて外国旅行までしていた母
そのすべてを多少はオブラートで包もうか なんていう配慮はさらさらない
すっかり老人になり 自分が建てた家に同居する息子夫婦との折り合いの悪さから
母親を引き取ることになるのだが やがて痴呆が始まり老人ホームに入れることになる
自分は「金で母親を捨てたのだ」という思いに苛まされる彼女
そんなに悪い母親とも思えない
しっかりもので自立していて ベタベタと甘えたり甘やかすのを嫌う人だったのだろう
生きることに現実的であり 国家だの自由だの権利などといった観念は関係ないといった感じは
案外と二人は似たところがあるのかもしれないと感じた
ホームでの母親はそれまで口にしなかった言葉 ありがとうと ごめんなさいを
「バケツをひっくり返したかのように」発するようになる
母の横に寝て さわりたくもないと思っていた母の手を 心から愛しんで触れた瞬間
何もかもが 憎しみも罪悪感も まるで霧が晴れるかのように去っていく
母と娘の関係は 母と息子の関係とはまた少し違うだろうと思う
学生時代 母親が嫌いという女友達も確かにいた
私自身 何もかも母大好きというわけでもなかった
不満もたくさんあったし 口げんかもたくさんした
私が優しくなかったこともあった
母が悪かったこともあった
そんな喧嘩をしたある日のこと
仕事から帰って自分の部屋に入ったらテーブルの上に小さなぬいぐるみが置いてあり
おかえりなさい と書かれたメモがあった
亡くなる前の年くらいのことだっただろうか
自分をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に放り投げ捨てたいような気持ちになった
この本は 読み方によっては彼女の遺書ともいえる
彼女も母親もある年齢まで生きて だからこそこの時を迎えられたのだ
もしどちらかが早くにいなくなっていたら 相手に対してだけでなく自分自身に対しても
許しも 許されることもなかった
今母が元気に生きていたら 私はやっぱり時々口げんかをしていただろうと思う
それでも ひがみっぽいところのある父が お前は○子(母)のことになると大げさになると言ったように
母の体調が悪かったり怪我をしたりすると 誰よりも心配し病院に付き添ったのも私だった
どれだけ大事な人だったかをうまく伝えられなかったことが残念でならない
書こう 書こうと思っていたのが今日になり どういうことか「母の日」
母である人も 母を持つ人も 素敵な一日になりますように
本屋の平台に「右の心臓」が積んであった
亡くなった兄の記憶を中心に 自分の幼少期について書かれたものである
手に取ってぱらぱらとめくっているうちに 興味が湧いてきた
彼女の母親のことを書いたものが「シズコさん」だった
その2冊のほかに エセーも3冊ほど合わせて買った
一切を知らずに読み始めた「右の心臓」では
戦後まもなくという時代も含めた彼女のバックグラウンドを知ることができた
家族のこと 友人のこと 地域社会のこと
彼女の目を通して語られるものは 子供であるとか大人であるとかは無関係で
彼女ならではの資質から生み出されたものだとわかる
母親との確執がすでにこのころからあったということがわかって
そして次に読んだのが「シズコさん」だった
少なからず衝撃的だった
ずっとずっと 子供のころから母親には愛されていないと感じ 母親のすべてが嫌いだった彼女
親子でも相性というものはあるのだろうか
母の手をさわったことがなかった
抱きしめられたこともないと彼女は言う
見栄っ張りでいつもしゃんとしている母
ありがとうと ごめんなさいを言わない母
虐待ではないかと思うほどに彼女には家事の手伝いをさせた母
教師の夫が同僚や教え子を家に連れて来れば どんなに遅い時間でも機嫌よく手料理でもてなした母
幼い子供を抱えて未亡人になってもしっかり家計を支え 四人の子供を大学まで出した母
老後にはしっかりと小金を貯めて外国旅行までしていた母
そのすべてを多少はオブラートで包もうか なんていう配慮はさらさらない
すっかり老人になり 自分が建てた家に同居する息子夫婦との折り合いの悪さから
母親を引き取ることになるのだが やがて痴呆が始まり老人ホームに入れることになる
自分は「金で母親を捨てたのだ」という思いに苛まされる彼女
そんなに悪い母親とも思えない
しっかりもので自立していて ベタベタと甘えたり甘やかすのを嫌う人だったのだろう
生きることに現実的であり 国家だの自由だの権利などといった観念は関係ないといった感じは
案外と二人は似たところがあるのかもしれないと感じた
ホームでの母親はそれまで口にしなかった言葉 ありがとうと ごめんなさいを
「バケツをひっくり返したかのように」発するようになる
母の横に寝て さわりたくもないと思っていた母の手を 心から愛しんで触れた瞬間
何もかもが 憎しみも罪悪感も まるで霧が晴れるかのように去っていく
母と娘の関係は 母と息子の関係とはまた少し違うだろうと思う
学生時代 母親が嫌いという女友達も確かにいた
私自身 何もかも母大好きというわけでもなかった
不満もたくさんあったし 口げんかもたくさんした
私が優しくなかったこともあった
母が悪かったこともあった
そんな喧嘩をしたある日のこと
仕事から帰って自分の部屋に入ったらテーブルの上に小さなぬいぐるみが置いてあり
おかえりなさい と書かれたメモがあった
亡くなる前の年くらいのことだっただろうか
自分をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に放り投げ捨てたいような気持ちになった
この本は 読み方によっては彼女の遺書ともいえる
彼女も母親もある年齢まで生きて だからこそこの時を迎えられたのだ
もしどちらかが早くにいなくなっていたら 相手に対してだけでなく自分自身に対しても
許しも 許されることもなかった
今母が元気に生きていたら 私はやっぱり時々口げんかをしていただろうと思う
それでも ひがみっぽいところのある父が お前は○子(母)のことになると大げさになると言ったように
母の体調が悪かったり怪我をしたりすると 誰よりも心配し病院に付き添ったのも私だった
どれだけ大事な人だったかをうまく伝えられなかったことが残念でならない
書こう 書こうと思っていたのが今日になり どういうことか「母の日」
母である人も 母を持つ人も 素敵な一日になりますように