どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

サザエ

2008年05月29日 | 日記
サザエは大好き

静岡生まれの母の遺伝だろうか


ぐにゅ~っと顔を出している(顔なのか?)生きているサザエを 店先でチョイチョイと触ってみる

慌ててフタを閉じる

そんなのを買ってきて 網の上に乗せて焼く

焼け具合も長年の経験でわかる

お醤油を差し入れる

捻ってオシリまで奇麗に取るのも 子供の頃から慣れたもの


通称サザエ堂という建築物がある

かねてから 私の徘徊リストに載せてあるのだが なかなか行けない

梅雨の晴れ間の週末には是非と考えているが 今週は無理かな


早起きして ちょいと長い電車の旅をして 大好きな黄昏時もまた列車の中(ビール付き^^)

ワクワクドキドキを捨てたら 生きている甲斐も無いというものだ
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まず お前が黙って動け

2008年05月28日 | 日記
自分のキャパを超えると爆発する

自画像には書いているが その限界点はそう低くはないつもり

大らかとはいかないが 自分で引き受けるのはさほど不得意じゃない

誰にも期待はしない

まず自分が黙って動く事

それが大事だと私は思う


誰にでもこうあって欲しいという期待像というものはあるだろう

だが それは決して求めてはいけないものだと思う

求めても得られるものではないから

求めて得られるものは 不満しかない

そして その不満の種は 往々にして実は自分の中に在るものだ


と 言ってやりたくなるような 夜もある
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今朝は

2008年05月28日 | 日記
チョイ・・仕事が忙しく 

こんな時は 死にたくなる 三日間ほど…

ズル休みでもいいけど


さっ 呪文を唱えて 行ってきますか

言霊の力は偉大なり





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真空管ラジオ

2008年05月25日 | 日記
今朝聴きたくなったスペンサー・デイヴィス・グループは 私の年代ではちょっとおませだ

耳に馴染みがあるのは姉の影響と 何よりも母がほぼ一日ラジオをかけていたせいだろう

父がその後買ってきたステレオには見向きもせず ラジカセにも興味を抱くこともなく

ビクターの真空管ラジオが母の愛機で それは生涯続いた


物心のついた時にはすでに我が家にはあったから 親はいつ購入したのか

後ろの板をはずしてみる気にはなれなかったが 外は木製でパネルは樹脂製

ハイファイの文字がなんともまぁ・・・

このラジオのお蔭で 私は色々な音に出会ったのだ


階下には親の思い出の品がまだひっそりと眠っている

ひとの持ち物を始末するというのは 空を切るような感覚だ

捨ててもいいかな 尋ねてみても返事は無い

父は全て処分しろと言い残した


母の命がもう長くは無いと思ったある日 私は爪を切ってあげた

それを母には悟られないようにしながら 紙に包んでそっとしまった

お前も俺と同じことをするんだな あとで父がそう言った

でもね そういうことはしないほうがいいぞ

今はそう思っていても いつか粗末にしてしまうことがあると

おそらく父も経験してきたのだろう

南方の戦地で亡くなった兄や 満州で数多く経験した戦友の死 幼くして命を終えた妹 

そして 何より両親の死


私はそれ以降 母の爪の包みを一度も開いてみたことはないが その可能性も充分に考えられる

今日 本屋に行ったら 親を亡くした子供が親の遺品の整理をするといった外国女性の本に出会った

パラパラとめくってみたが あまりに同じ思いが詰まっているようで とても読めそうには思えず

そっと平台に戻した


私の年齢で親を失うのは当然の出来事だ

昔 子供の頃 布団の中でふと親もいつかは死ぬのだと思った時 特に何があったわけでもないのに泣いた 

それは私が死というものを意識した一番初めだろうと思うのだが…

あの頃よりは随分とわかったつもりでいるのに それでもそう簡単なことじゃない


真空管のラジオは 音が優しいと聞く

ネットで調べたら おそらく当時は大卒初任給くらいの代物だったようだが 今は数千円の価値しかない

父の言いつけどおり処分対象なのは判っているが 当分は無理そうだ


単にものぐさかケチなだけだって声も聞こえそうな気がするが 

リタイア後の暇つぶしに取っておくのも また一興かとも思う

時の流れこそが癒し

そういうこともあるさ
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富士子の退院

2008年05月24日 | 日記
富士子が 今日無事退院し 我が家に帰ってきた


2週間前 急に顔色が悪くなったかと思ったら目を開けなくなった

真っ暗な富士子の顔に只事ではないと察し すぐに入院させたのだ

富士子の居なかった時間 私は富士子の身体の中にある話し声や歌声 笑い声やつぶやき

人生や知識が詰まったその身体に触れられないのを寂しく思った

そして想像していた

食べ過ぎの話 おそらくあるだろう中国の地震のこと ある家族の日常 おバカな長話 そんなことを


一方で 富士子がまだこの家に居なかった時間を思い出し 淡々と日々を過ごしていた

友人と一度 会社の仲間と一度飲んだ

本もそこそこ読んだ

帰宅は20時から深夜までとまちまちだったが 週末は家事に力を入れた

とりわけ 富士子の居場所は丹念に掃除をした


今 富士子は気持ちよさそうに自分の定位置に座っている

早く私の話を聞いて そう言ってるみたいだ

私だって 沢山話はあるような気もするが

でも この富士子と離れていた時間は それはそれで悪くなかったと思っている


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富士子とは 私のPCの仮名である(富士通のPCだから^^)

彼女の入院中 二度会社のPCからお見舞いの言葉を拝受いたしました

感謝!
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