どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

自分の物差し

2021年09月30日 | 日記

明後日は眼科で視野検査を受ける予定になっている

幸い 今のところ治療を要するような状態ではなく 経過観察段階

前回の受診は 私がまさに深海魚になっている時だった

予約は10時からだったのだが 私の前の時間に予約をしていた人が来ない様子

次の予約の方が待っていらっしゃるので・・・

受付の人が電話をかけたところ どうやらすっかり忘れていたらしいことが そのやりとりからもわかった

 

通院の予約を忘れるなど 私には考えられないことだ

およそ約束ごとなどはカレンダーに記し 時間の決まっているものは何時に家を出たらよいかまでも決め 何度も確かめたりもする(粗忽者ゆえ 余計に)

病院の予約を忘れたからといって 別段さほど他人に迷惑をかけたということも無いわけで(むしろ本人の損かと) 善悪の問題というよりも 約束というものに関しての温度差がひとによって全く違うということを 再認識した

会社員だった時 当然のように電車の遅延を遅刻の言い訳にする人がいて その分も計算して家を出なさいと思ったものだが 9時ぎりぎりにタイムカードを押す人もいて 温度差に関しては十分知ったつもりだったのだが 

できるだけ自由でありたい私は 何につけ時間の制約を受けるのは本来好きではなくて だから一層神経質にもなり もう少しおおらかでもとは思うのだが これも性格らしくどうにもならない

待ち合わせをして時間通りに来たためしの無い私の姉のおかげで 家庭環境でも躾の問題でもなく 個人の生まれ持っての気質だろうと思って 自分の物差しで他人を測ってはいけないと(自分の心の平穏のために) 時々自分に言い聞かせている   

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秋分の日は昼が長い?

2021年09月29日 | 日記

ほぼ一か月ぶりに少し離れたスーパーの大型店舗に行き 上から下までじっくりと見てくる

商品の陳列に変更があったり レジの支払いが機械操作に変わっていたり(セルフレジは早かったが) 名店コーナーも一部無くなって 実店舗の難しさを感じる

実際に品物を手に取り 見て買いたい私にとっては こういう店は貴重であり 個人的には昨今流行りのSDGsであって欲しい 

 

9時前に家を出たのに帰宅は1時過ぎで それから食事の支度をし 片付けをし 雑用をこなしていたら早くも夕方に

日の入りも早くなってきているので 最近では5時を過ぎるともう今日も終わりという気持ちになる

この先二か月半は早くなる一方で それだけでなんとなく物悲しくなる

 

ところで 先日の秋分の日

昼と夜の長さが半分と言われているが 実際には昼のほうが長いのだそうだ

その理由は昼と夜の定義 日の出と日の入りの定義によるもので 日の出は太陽が地平線から顔を出し始めた時を言うのに対し 日の入りは太陽がすっかり沈んだ時を言うから

それぞれ太陽が地平線から半分顔を出している時であれば 名実ともに同じ長さになったのだろうが 

そこで 23日の日の出日の入りの時間を見たら それぞれ5:29と17:37になっていた

今まで 気が付かなかったなあ

言葉の綾ではないけれど 言葉の定義ってあまりこだわるとややこしくなるかもね

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スーパーで

2021年09月28日 | 日記

体調が悪かった時に 食べられるものを求めて毎日のように買い物に出ていたことは もう何度か書いている

それが習慣になってしまったのか 最近買い物に行く回数が格段に増えた

少しでも歩けば運動にもなるし それはそれで良いのだが 先日 あることに気が付いた

私がスーパーに行くたびによく見かける男性のご老人がいるのだ

ひとりで来ているらしいその人は 腰は曲がり気味で かなり高齢の様子

私は午前中の それも早い時間に行くのだが その人も時間が決まっているのだろう

買う物はそう多くも無く 買い物かごを持っていない時もある

いつも一人なところをみると 一人暮らしなのだろうか

まさか散歩でも無いのだろうが 食欲不振なのか 美味しいものを探しているのか それとも運動のつもりなのか そんなことは大きなお世話だろうけれども 食だけはだれでも省くわけにはいかないから 何となく気になってしまう 

私はといえば 今は以前の様に見る物のほとんどが美味しそうに見え カロリーや糖質の数字を見ては頭の中で計算し 溜息ひとつ

それでも あの時のことを思い出しては 今がどれだけ幸せかと思い直している

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再会できるかな~

2021年09月27日 | 日記

気持の良い季節になってきたし コロナ感染者も減ってきているとなればどこかに行きたくなるのだが 来月の前半には病院の予約が2件とワクチン接種があるので 大人しくしていなければならない

空を見上げては徘徊程度なら良いのではないかと思ったりもし いやいや我慢我慢と自制したり

その代わり 私のワクチン接種後2週間が経過して その時にも感染者が少なければ 久しぶりに会ってみようかと友達から提案があった

最後に会ったのは昨年の1月

かなり昔の事のようにさえ思える

もうすぐ10月 ほとんど何もしないうちに今年も終わってしまうと友達がメールに書いてきたが ここで会うことができれば今年は一歩前進できたことになる

まだ どこでどんな風に会うかは未定だが それまでに第六波が来ませんように

いや もう永久に波が来ませんように というのが本音だけれど・・・

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楽しみはまだまだ

2021年09月26日 | 日記

澤田瞳子の『泣くな道真』を読み進めるうちに デジャブに包まれた

悲しみと絶望の日々を左遷先の大宰府で送っていた菅原道真が いつしか今を生きるようになるという筋書きなのだが これはあの鳥居耀蔵の晩年を描いた同じ作家の『名残の花』とシチュエーションが似ているじゃあーりませんか

両方とも結末には希望があるし 芯のしっかりした女性が出てくるところも(道真のほうは小野小町)重なって見える

実際の道真は 左遷とはいっても実際は流刑に限りなく近い扱いで だからこそ彼が亡くなってからの様々の不幸な出来事が彼の祟りによるものだと 京では怖れられたのだが

かつては政治の中枢にいながら 蟄居となった老人が活躍するところはどちらも小気味よいが 本当のところ 道真が大宰府で亡くなるまでの二年間は 自らの嘆きを綴る時間だったらしい

今年直木賞を受賞した彼女には 他にも興味を覚える作品がある

お楽しみはまだまだ続く

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