Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

https://michika-6.wixsite.com/michiyokamei

春画展開催@永青文庫

2015年08月31日 09時54分04秒 | おすすめ展覧会


いよいよ日本で春画展が開催される。

海外では開催されていたものの
日本ではNG
これは歴史的なことになり得るのか、
それとも握りつぶされるのか。

見届けたい。

永青文庫 春画展
9月19日~12月23日(11月1日まで前期、展示替え有)

そして、

瀬戸内晴美(寂聴)の「美は乱調にあり」をイラつきながら一気に読了
女たちが知識を身につけ男社会に出て行く大正時代

その女たちを育てあげるのは
やっぱり男たちで その男からしてみたら、
女を成長させるのは楽しみなのかもしれないけど
結局は恋愛とか肉欲とかがからんで
せっかく良い線いっても
ダメンズとくっついて落ちていく女たち…
あ~その男はダメだってば!!(笑)

とはいえ
私もそんな父親のような男性たちに
事実育てられた。
そもそも土台が男の作った社会なので
したたかに学んでいかなくてはならないけど
人が身を削って学んだものを 
捨てることになるような恋愛に出会ってしまうのは、
幸か不幸かはわからない。
でもおおかたそんな恋愛をしてしまうんだよなぁ





ところでこの作品、
人物の描写が恐ろしく冷淡。
女性作家の作品なのに甘さがなくて
何故か男以上に男目線を感じた。
著者が自身の女を意識した「ムード」といったものが全くない。
自立に向かう女性を主人公に描きながら
この著者自身が当時新しい女性のタイプだったのかも知れないし
そんなふうに、自分自身を作りたかったのかも知れない。

作家は自分も作品も両方創っていくものかもしれません。

(スミマセン私なんかの分際で…でもほんとにそう思う)


また、体験と重ね合わせるなら
女性がこの社会で学習する項目の中には「男性の視点」がもれなく入っている。
男性の視点を学びながら
女性は社会で賢く生きているんじゃないでしょうか。

生き残るためには男のようにもなれる。
時に歪な「おとこおんな」かもしれないですけど(笑)

そこを正視して初めて現代女性の姿は現れると
そんなふうに思うわけです。


昭和49年4月第8刷 文藝春秋


因州麻紙 撃沈

2015年08月28日 09時05分24秒 | 日記

墨が余ったときに
遊びに使う因州麻紙という画仙紙があって
それはもう滲ませ放題に滲ませて
気分転換をするのだが
試しにドーサを引いて作品にしてみようと試みた。

裏打ちの練習も兼ねて…
先日の座の会の時、裏打ち用紙の情報を、
当番で一緒になった作家さんから教えていただいたので
さっそく小津和紙に行き購入。
悠久紙と八女紙
それはつまり高い紙と安い紙(笑)

んで、ドーサを引いた因州麻紙に
その2種類を裏打って描き始めたが…
撃沈しました。

結局、画仙紙はやっぱり生のまま
滲みを効かせて描くもんだと痛感。
でもって私は、作品にするなら滲みに身を任すなんて
絶体できない体質だとこれも痛感。

絵を完全にコントロールしたいのではなくて、
コントロールしてもしきれずに現れる「偶然的な何か」をたぐりよせることができれば
その中間地点に技法の最大の魅力・謎があるように思うわけです。

もしかしたら私にとっての技法は
その謎についての考察なのかもしれません。

ただし、これはあくまで技法であって
描きたいこととはまた違います。

つまり画仙紙にドーサひくのはもったいない。
ひくなら白麻紙でいいじゃん。

何やってんだろ私(アホか!?)

撃沈した描きかけは思い切って捨てました。
これ、捨てないと未練たらしくて次に行けない。

「絵に失敗はない」とか言ってくれる人がいるけど
いや、ありますよ。
慰めは作家のためならず
毎日疲れます。


穢れについて

2015年08月27日 12時34分14秒 | 日記

メアリーダグラスの「汚穢と禁忌」を調べていたら
こんなブログに遭遇した。

"錆びたナイフ"

着眼点が面白い!!
本に関しても、参考図書にしたいです。
コメントも読めば読むほど秀逸で、この人一体何者なんだろう…


メアリーダグラスの「汚穢と禁忌」は
中村雄二郎の「悪の哲学ノート」で紹介されていて興味を持った。
なんだか、歳のせいかもしれないけど
自分の理念をノートしておいても
すぐ忘れちゃう
描き始めると頭がとぶ。

だから、暇さえあれば
というか、描いてないときは常に
繰り返し繰り返し
何故描いているか、どうしたいのか
「あ、そうだった!!」とか(笑)

綺麗なモノを綺麗なまま描く、とか
絵は美しく心和むものとかいった概念から外れているから
心して取りかからなくては。
汚れを美に変えるには?


源泉

2015年08月19日 14時02分12秒 | 日記

何が始まったから、いまここに居るのか
ベーコンの画集に見入る。

これから読みたい本やテキストを整理しながら
ふと手にとって
そしてそこにすべてのイメージの源泉が
始まる前の蠢く何かがあるのを感じます。

ベーコン論(ドゥルーズ)も読んではみたけど
そんなにこねくり回して うだうだ書くより
絵を観りゃ済むのに、という気持ちになる。

ただ、私のような周辺性の作家は
だれかに論じていただける幸運は滅多にないから
常に自分で自分を論じられる体制でいる方がいい。
自分で評論の仕方も勉強しなくてはならないですよね。
だから果てしなく、本も読まなくてはならないと思う。
でも嫌いじゃない。

作家は絵も描き、論じ、営業もし、
そのための勉強もし…
何役もこなすのか。
でも嫌いじゃない。


『地獄の黙示録』見る

2015年08月18日 14時10分15秒 | 映画

8月14日の夜にBSでやっていた
「地獄の黙示録」を録画した。

溜まっていたアイロンがけをしながら見ることにした。
見終わる頃に、ちょうどアイロンがけも終わった
ということは、2時間半分も溜めていたということで
その量に驚きだ…

それはさておき
子供の頃に父に連れられて
私よりもっと幼かった弟と
3人で一緒に見たのを覚えている。
というか、父が見たかったんだろうなぁ。
私は、ほとんどちんぷんかんぷんで途中寝たかもしれない(笑)

音楽は記憶に残っていて
ドアーズとワーグナー、ヘリコプターの音。

その後もワーグナーを聴くと
ヘリの編隊を思い出すほど
音と画像の記憶は強固だと思う。





ところで
今見ると、ストーリーは単純だ。
欺瞞に満ちたダメ上層部にたてつく天才危険因子を抹殺せよ、
というシンプルな指令を受けた第三者の体験する
舟版ロードムービーといった感じもある。
川旅の先々であらゆる地獄に遭遇する。

戦場の狂気は、テレビで見ていても震えが来るほどで
人間のバカさ加減とわずかな尊厳と
でもどこまでいっても人間でしかないこの人間…
「ありえない」とは思えないから私の中にもあるのでしょう。
私もこの愚かな人間の一人でしかないんですね(;。;)

特に、「恐怖」の描かれ方オンパレードで
こんな恐怖もあるのか、あんな恐怖もあるのかと…
見ているうちに「恐怖」を利用して人を支配するやり方って
現在の日本にだってあるわい、と、こうなる。

終盤カーツ大佐が繰り返す「恐怖には顔がある」という台詞

どんな顔なんだ!と思いつつ
映画を見終わると何となく分かっていることに気づきます。

あ~やだやだ、うっかり洗脳されそうだ。
ほんとに凄い映画です!
ちんぷんかんぷんな
記憶が塗り替えられて良かったです。
(特に名シーンの、沼からぬーっと出てくる人、あれをずっとカーツ大佐だと
思い違いをしていました・笑。修正できて良かったです(^_^;)

地獄の黙示録』( Apocalypse Now)1979 米 フランシス・フォード・コッポラ
http://www.bing.com/videos/search?q=%e5%9c%b0%e7%8d%84%e3%81%ae%e9%bb%99%e7%a4%ba%e9%8c%b2&qpvt=%e5%9c%b0%e7%8d%84%e3%81%ae%e9%bb%99%e7%a4%ba%e5%bb%8a&FORM=VDRE#view=detail&mid=920EEB13C3A114A1C13A920EEB13C3A114A1C13A


2015年8月17日

2015年08月17日 14時50分18秒 | 日記



久しぶりに涼しい日
薄暗くて灰色

もう雨の音だけで十分だと思う。

体温が上がったり下がったりして
37度5分まで上がったかと思うと
急に汗が噴き出して36度2分まで下がる。

ためしに熱を測ってみたら
そんなことになっていた。
辛いわけだ。

展覧会が終わり、
ステイしていた友人も上海に戻り
また、この寂しいような
なんとも言えない空虚感。

上海へ出国の朝、
予約していた空港までの連絡バスに乗り遅れ
てんやわんやだった(笑)
予定通りになんていかない
人はなんて面白いのだろう。。。

その人に、あるとき言われた。
「何を描くか、ではなくてどう描くかだ」と

「どう描くか」にはそれを「どのように考えるか」が
凝縮されている。

その人が投げかける言葉がずっと私の指針だったが
ある時から追うのをやめた。
そしてその方が、
言葉がすっと入ってくることに気がついた。


私たちは皆全然違う

同じ道はたどれないが
「並行」はありだと思う。



展示拒否される

2015年08月14日 14時18分34秒 | 日記

生まれて初めてのことが
今月は2つあった。

ひとつはギャラリートーク

人のギャラリートークを聞きに行くと
ほんとに話長いなぁ…とげんなりすることがある。
作家はなんて自己主張が強いんだ、とか
話の長さ競ってどうすんだ、うんざりだ早く次いってくれ…(笑)

もし自分が人前で話すことになったときは
聞かれたことに端的に答えよう、
そして「だらだら」だけは絶体にやめよう、と思っていた。

8月2日のギャラリートークで初めてマイクを持った。
そして質問に端的に答え、それで終わった…

もっとしゃべりたい!!(;゜ロ゜)

自分にこんな感情があったなんて!
次にトークがあったら、私は絶体にだらだら話し
決してマイクを離さないだろう。





そしてもう一つの出来事

展示拒否を受ける。

軸の職人さんたちの展覧会がある。
軸装のアイデアを競うものだ。
そのための絵の依頼を受けて描いたのがこれ

「フリンジ」墨、和紙

先月職人さん宅に伺い
軸の打合せも済ませあとは展示を待つばかりだったが
「軸装の展覧会なので、これはちょっと…」
「大勢の人が見に来るのでこれはちょっと…」
ということで出品できないと告げられた。

そんなにまずいですか?
花とかにすればよかったですか?

というか、実際本当にまずかったのは
そのあとの私の態度だった。

お世話になっている職人さんなのでつい
「…すみませんでした」と謝ってしまった。
むこうからは、なんの謝罪もフォローもなかった。

それどころか、何とか推してくれた気配もなく
ぶっきらぼうに結果だけ告げられた。
まぁ職人さんはぶっきらぼうなものだが、
これが人の世かと思い知らされる。

次にこんなことがあったときは
謝罪だけは絶体にしない。

作品の説明ができるよう、理論武装する。

相手に対する怒りはない
ただただ情けなく思うばかりだ。
まったくもう…


1年を思う、いや1秒を思う…

2015年08月13日 10時35分08秒 | 日記

ふと思う
1年は12ヶ月。
そのうち会期が平均10日の展覧会が2回あったとして
で、その展覧会を挟んだ1ヶ月は事務処理や
なんやかんやで集中して絵が描けないとする。

そうすると絵が描けるのは10ヶ月。

展覧会の制作に各3ヶ月づつ使うとして
残り4ヶ月。

ここにもし別の展覧会が入ってしまったら…

1年に展覧会を何本もこなす作家がいるが、
というかそれがつまり「作家」なのかもしれないが
新しい技術に挑戦したり、失敗したり…
そう、失敗してもいい試行錯誤期間は
私には絶体に必要だと思っているのだ。

展覧会に追われるのはとても幸せなことだから
だからこそ、もっと時間をうまく使いたい。

うまく使えなくてはこの先続かないような
そんな危機感を少し感じはじめている。
必死で絵のこと考えてないと
あっという間に1年が、いや1秒が過ぎていく…

生活全体を見直そうと思う。
どんなふうに変わったか
成果があったらまた書きます。


ありがとうございました。

2015年08月08日 09時18分35秒 | 日記


夏空

ものすごく暑いけどのだかだな~

そんな猛暑の中を「座2015」にお越し下さった方々、
大変ありがとうございました。

無事終了いたしました。

展覧会自体が勉強会のような機能をしてる、と
先輩の作家さんが言っていたが
私も同感です。
皆様から得たものを糧に、また精進してまいります。
本当にありがとうございました。





ところで、
「座の会」は何故か毎年 こんな暑い時期にやる。
それに気づいている人もいて
「たのむから暑くない時期にやってくれ」と。

でもメンバー自体、異様にアツい人が多いので
仕方ないんじゃないでしょうか…
終了間近のミーティングでは、
メンバー同士まさかの一触即発状態になり
はらはらいたしました(笑)

今回はメンバー同士の飲み会で
たびたび議論の場に居合わせた。
真剣にやっているからこそ
真剣に議論になるんでしょうね。





人は互いに、全く違っている。
「似てる」と思いたくても全く違う。
だから「なんとなく似てる」「同じ考えの持ち主」とかでざっくり括るのは
時に危ないことだと思う。
差異こそが大事なのだ。あなたと私はこんなに違う、と。
それを受け入れて理解することから、
関係は成熟していくのではないだろうか。
受容は可能性に繋がると信じている。

まずは他人の気持ちは「わからない」ことが大前提だと思う。
「わかった」つもりに一瞬でもなったら
関係は一気に閉じてしまう。

だから「あなたはこういう人ですよね」と
決めつけられるのもたまらない。
ち~が~うっちゅうに、
それでもイメージを押しつけてくる人のことは
受容できない。
それは他人の持つ個性や差異を観察せず、自分の勝手なイメージ優先なので
極端な言い方だが
相手をモノとしか見なしていないも同然だ。


同然だ!!
と、私までアツくなっちゃったりして(笑)

ところで、座の会のチラシにピンクの服を着た
私の後ろ姿がたびたび話に出たが
←コレ

実はドラえもんでした~(^_^)