Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

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男子のような

2010年09月29日 09時07分57秒 | 日記


いつか描いた絵。つれづれになるままに…

先日友人から、服ぐらい買ってもらえと言われた。
素直に行動してみることにした。
主人に服と靴をねだった。「買ってもらう」なんて、本当に久しぶり。

絵を描いていても、世の中に貢献している気がまったくしないので、
そんなことを長年続けていると自己評価が自然と低くなる。
ようするに生きてる価値が見あたらないのだ。
主人が汗水流して稼いだお金で絵の具なんて買ってよいものだろうか。
自然とけちけち絵の具を使うようになる。
筆も。毛が抜け初めても、すり切れてもなんだか使っちゃう。

ましてや服なんて…。

だんだん自分が卑屈になる。でも、ずっとそうだった。
結婚前、バイトにあけくれていた頃も、服なんてもちろんあとまわしだ。
イラストを描いていたころは、それでもまだいい方だった。
でも今はお金にならなくてもイラストより絵が描きたい。
絵のことを思うと、一生分の人生でも全然足りない気がする。

久しぶりに主人に甘えてみた。で、買った品々がこれ。


包装をといてびっくりした。
まるで男子じゃん。。。

カルチャーで教えます

2010年09月25日 22時15分05秒 | 日記



写真は私の水彩画。たまには自分の絵を載せます。

絵を描き始めた頃は、まさか自分がカルチャーセンターで絵を教えることになろうとは、夢にも思っていなかった。
以前からこのブログで何度かご紹介させていただいている日本画家・山田宴三氏の教室を、わけあって引き継ぐことになった。
水彩画の教室。大好きな水彩画。
山田氏の良いところは私も十分理解しているつもりだ。
彼の生徒さん達とも仲良くやってゆきたいと思う。

でも本当のところ…私大丈夫??

今年、東京医科歯科大学に聴講生(解剖学)の延長届けを出したとき、延長理由に何気なく「解剖図の指導法を研究したい」と書いた。

実際メディカルイラストレーターの数は少ない。
もちろん単価が安いので、それで食うなら薄利多売でぼろぼろになる。
さらに言うなら、内容は細かい、医学用語は難しい、実際の標本はいろんな意味で厳しいなど要するに三重苦以上だから、まあなりたい人もいないのかもしれない。

でもどうだろう、メディカルイラストレーターの人口がもっと増えて世間に認知されたら、待遇も少しは良くなるのでは…。
ならば指導の方へまわって育てたいと、半ば苦し紛れにそう書いたのだ。

結果、解剖図ではなかったが、絵を教えたいという希望は不思議とかなうこととなった。
山田宴三氏には本当に感謝している。
彼の分まで彼の生徒さん達を大切にしていきたいと思っている。

でも私…大丈夫??
人に言わせると、
私はそうとう天然なのだそうだ。

教室は2カ所
よみうりカルチャー町屋(03-3802-7115)
よみうりカルチャー錦糸町(03-5625-2131)  

10月から教室を3つ受け持ちます。

ご興味のある方、よみうりカルチャーの方へお問い合わせ下さい。
私のHP http://www.xax.bb4u.ne.jp/~michiyo/ でもご案内しております。

是非よろしくお願い申し上げます。


別れ

2010年09月23日 15時43分12秒 | 日記


おじぎそうの受粉に成功。
別の固体の花同士をこすりつけるのだそうだ。言われたままにやってみた。
その瞬間、黄色い花粉が煙のように舞い上がる。
魔法のような受粉の瞬間。
写真はそうしてできた種。まめのような…変なかたち。いとおしいかたち。

それは次の世代だ。

わけあって、今月は別離のシーンに3度立ち会う。
3回目は、さすがにまいった。家に戻ってから不覚にも涙が出る。

寂しさは理性のものではない。別れの内容がどうであれ、例えそれが悲しいことであれ、喜ぶべきことであれ、寂しさは人の心を容赦しない。
冷静であっても、混乱していても寂しさはやってくる。
誰かと一緒にいても一人きりでもそれは同じことだ。
寂しさとは何なのか。一体どこからやってくるんだろう。私はこの感情をいつどこで覚えたのか。

それでも、とにかく毎日を生きる。生きている間は。
絵も描く。描かなくては。
おそらく、とても近い将来に私は父と離別する。またもうひとつ寂しさの種が私の中に生まれるのかもしれない。
それは次の世代、未来への開花につながる種なのだろうか。


父を描く

2010年09月15日 17時08分39秒 | 日記


写真は、木にできたこぶ。先日、鬼子母神の境内で発見したものだ。
なんてことはないのだが、妙に気になった。
木の表面が裂けて一つ内側の層が膨れてせり出している。
何が起こったんだろう。そしてこのこぶの中はどうなっているのか…。


今日は、父と二人でほぼ2時間を過ごす。
父はパーキンソンも患う末期の肺がん患者である。
日に日にやせ細る。胸郭のかたちはもちろんのこと、寝間着の上から腹部内臓の量塊まで見て取れるほどになった。
ただ、周囲もその状況に慣れてくる。
痰と格闘する切れ目のないうめきにさえも、私はもう動じない。

母がいないのをいいことに、父をスケッチすることにした。
前から決めていたのだ。
今日は描く。今日はチャンスだ。

ずっと見ていると、父は意外と動いていることに気づく。
足を動かし、手を動かし、微妙に体位を変える。
痰を出したいのか、仰向けのまま枕元のティッシュボックスに手を伸ばし、ティッシュを1枚つかむ。また1枚、また1枚…。

骨と皮ばかりの父の手は妙に長く見える。ゆったりとひかえめに、空中に弧を描く所作。いつのまにか父の指先に白い花が咲いていた。

その所作はとても美しかった。
やせ細り、死の空気が体中から漂っているというのに、それは見たこともないほど美しい。

結局、父をスケッチするのは意外と難しかった。その所作に見とれたのだ。