Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

私の絵画論

2020年01月26日 23時15分58秒 | 日記


見る」とは一体何だろう。
目は、見えている以上の情報を拾おうとしている。
目でみ見えている世界は、常に見えていない世界への入口。
見えている以上の線や形を繋げ、歪ませ、そうして別の形を創り上げる。

目のそうした働きは私の「イメージ」で、
まだ実現していない画面の上での空想。
画面の上で動き回る形を追い、そうしてそれをキャッチして記録する。
記録したらまた別のイメージが始まる。
それが描くこと。
イメージの追いかけっこだ。

イメージはおそらく脳がしていること。
目で見ていることとは違うのだ。
見えてはいない、でも見えている。もうひとつのスクリーンにそれは映っている。
目で見ているのとは別のスクリーンが常に視界にある、レイヤーのように
重なったり、クリアな画像になったり。

イメージを発現させる絵画でありたい。
だから完成してはいけないし、
描けない部分が大事だ。

具体的な説明図ではなく、イメージを作動させる色と形であってほしい。
でも同時にそれはイメージを作動させる為の絵であってはまたいけないのだ。

まるではじめから、存在を意識したそれ以前からイメージの世界が当然のように在る、
それを持つのが個性の、人間まるごと画面に表してみたい。

人間を描いています。



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