Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

夢の話

2024年05月03日 09時18分28秒 | 日記

長い夢だった
場面もころころ変わる
出てくる人は皆親切で、何がどうというストーリーでもないのだけど
目が覚める直前のクライマックスが劇的だった。



リアルで、私は2005年~2021年頃まで羽黒洞という湯島の画廊にお世話になっていた。
家族的な画廊でいろいろなことを教えてもらった。
社長はお母さんのような存在、そしてその娘さんは私には戦友
社長の女友達が画廊には多く出入りし、行くと大抵奥の事務所で女たちがお茶をしていた
もちろん画廊なので内心「それで良いのか?」とは思っていたが…

彼らは江戸時代から在るという古い日本家屋に住んでいた
夢の場所はおそらくそこだ。
懐かしい画廊の感じがあった。
姿は見えなかったが社長がそこに居て、私は懐かしく何かを話しかけていた
私は社長に「社長!」と大声で呼びかけるのが好きだった
そんな時、社長はいつもにこにこしていた。



ところで、夢のそこには例のとりまきの女性たちも4名ほどいた。
その中に、紫色の絵の具のようなもので顔全体をペイントした小柄な女性が一人居た
服も帽子も全体が青紫色で統一されている
子どものように小さいが紫色の顔はしわしわでどう見ても老婆だった。
彼女が私の正面に立ち
「○○さんがガスで自殺を図ったらしい」と私に告げた

「やっぱり。そうなると思っていた」と私
来るべき時がきたと思った

その会話の最中、右手の引き戸の隙間から軍服を着たとても大きな外国人男性が
部屋の脇を通り過ぎるのが見えた
引き戸の外には廊下があるのだ。

私は引き戸を開け廊下に出た
木造建築の長くて暗い廊下がずっと続いていて、左右に戸がありそれぞれ部屋があるらしい。
その奥に父の姿が見えた。
部屋に入ろうとしているか、あるいは出てきたか、そんな感じだ

私は思わず「待って」と叫んだ

「まだやることがある」と父

手には原稿のような紙を持っていた
私は走って父に追いつき後から抱きついた。ゴツゴツ骨張った痩せた身体が頬にあたった。
父の腰の位置、だから私は子どもに戻っていたのだと思う。

会いたかった、行かないで欲しい、と抱きついて懇願したが
父はふっと移動して気づくと建物の外に出ていた。

そこは言葉にはできないほど美しい場所だった
真っ赤な花が青空に映えていた
椿だろうか。
この時、これが夢だということが私には分かった。
なんて鮮明な夢なんだろう、とその赤い花を見て思ったのだ。

空か海かわからないけど高い所にいて、遠くまで青い風景が見渡せた
父はその美しい景色を眺めて、何も言わず優しい横顔を私に見せた
私は再び父に抱きついて
「大好きだ、行かないで欲しい」
「私も一緒に連れて行って」と泣きながら懇願したがそのまま目が覚めた。
やっぱり泣いていた。



私がショックだったのは
こんなに父のことを思っていたことだった。
普段はあまり思い出さない。
忙しくてそれどころではなかった。

自分の制作も、母の介護もずっと連続していて息をつく間もない。
死者のことを思い出す余裕すらなかった。

父は天国にいる。天国はきっとこんな美しいところだ。
その美しい場所を夢で見ることができる自分にも少しほっとしたし
このイメージは優しかった父から育んでもらったものだとも感じた。



さて、リアルで私はもうすぐフランスに行く。
パリで個展をするためだ。

作品もそろい、荷造りも始めました。

これは画廊が作ってくれたカードデザイン
タイトルは『SHUNGA contemporain』なので春画がテーマです。

ブログ、久しぶりで前回は人人展のことだった
SNSをしているのでこまめにそこにポストしている。
だけど夢の話は長くてとても個人的なことなのでブログの方が書きやすいです。

SNSはこのウェブサイトから入れます
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フランスのこと、またアップします
皆さまも良い初夏をお過ごし下さい。そして良い夢を。



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