Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

縁をつなぐ

2023年07月06日 10時02分07秒 | 日記

チェコから友人作家が一時帰国をしている。
友人、といってもかなり下の世代だ。

その友人とパートナー、そして日チェコ交流に尽力されてきた
書家の先生と4人でランチをした。
画像はチェコのお土産「ビールの石鹸」(?笑)
書家の先生が発行している冊子「ひとしずく」
私からはお二人に、頂き物の古い画宣紙を何枚か差し上げた。

ランチと言ってもその後喫茶店になだれ込み5時間の熱いトークに。
それはあっという間の楽しいひとときだった。
アートのことも、それぞれの人生観も、また人間社会のことも
こんなにざっくばらんに話し、また話を聞いたのは久しぶりだった。
何故久しぶりなのか。
それは私が画廊にしか出入りしていなかったせいだ。



展覧会中の画廊では、それほど好き勝手な会話ができないことを最近になって知った。
何故ならそこに作品があるからだ。
作品を無視して たわいもない会話をすることは、なかなか難しいと感じている。

でも真の交流は雑談にもあることを、昨日改めて思い知った。
とても有意義なひとときだった。
私にはそれが欠けていたな、と思う。

書家の先生は、日本画の作家、故・田中芳さんの繋いでくれたご縁。
チェコの作家さんは今は無き湯島の画廊・羽黒洞さんのご縁。
作家同士が友情を結ぶのはとても難しい。何故ならどこか利害関係がつきまとうから。
そう考えると、繋がる縁というのは貴重な縁だし、それは切れる気がしない。



いつだったか、大先輩作家にこう言われたことがある。
「一緒に展覧会をしたい仲間は必死で探さなくてはいけない」
その時はあまりピンとこなかったけど、今ならその意味がよく分かる。
友情を築くのが難しい世界だから、友は必死で探せよと。

とはいえ節操なく繋がっても疲れるだけだと思っている。
どんな人と繋がりたいか、それは自分がどんな人間か改めて考える機会でもある。
いま、そんな時に来ているように思う。

私は、自分に必要だと思ったことは必死で努力するが
結果おもいがけない「偶然」の出合いがあり、道が開かれることがある。
書家の先生は、それは見方を変えれば「必然」なのだと言い
私はそれを最後まで「偶然」として楽しみたいのだと言った。



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