Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

愛なき愛

2014年05月20日 08時52分11秒 | 日記


とうとう大師線「赤札号」に遭遇した。

ぼんやりしていて
気がつかずにいたら
そばにいた友人が教えてくれた。
現在、大切な友人が滞在中

噂のとおり、中も赤一色。


川崎大師駅からは、
沢山の人が乗ってきた。
皆、赤札をいただきに来たのだろう。

その友人からご開帳について
「何か、開くんですか?秘仏か何か…」

「何かが開くわけではないです。
最後に赤札がもらえるだけ」

で、一応赤札までの流れを説明したが
説明がヘタなので
ご開帳が、ひどくつまらなそうなものになってしまった。
相手も全く興味なさそうに聞いていた。





その友人がこんな話をはじめた。

言葉とは相手を察する思いやりがなければ
単なる音でしかない、
だから言葉とは愛なのだ、と。

私は相手が何を言いたいのか、察しがつかない。
気持ちを相手に合わせることもできない。
その能力が欠けた、思いやりのない人間なのだそうだ。

「自我が強いんじゃないですか?」

「…」

「自我が強い」と言われてもピンとこない。
「我が強い」ならわかるような気もする。

まぁ、確かにそうだなぁと思い
腹もたたなかった。
というか、察しがつかないので腹のたちようがない(笑)
相手もそれを非難がましく言ってはいない(ように見える)。

そして実は
その友人も察しのつかないタイプらしいので
要するに、全く思いやりのない二人が
互いに愛のないままに
会話をしているような状態だったのだ。

もうかれこれ6~7年のつきあいになるけれど
今日、はじめて気がついた!!

どうりで楽なわけですよ。

私と話していて、突然怒り出す人も多いなか、
(その理由は不明なことがほとんどだ)
長くつきあってくれてありがたいと思う。

愛が必要ないこの関係に
感謝しなくてはなりません。
というか、
自然に繋がる関係に、
わざわざ愛なんて必要なんでしょうか…?



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