先日のTV番組で、世界各国の年末年始の過ごしかたを特集して紹介していました。
シンガポールでは、縁起をかつぎ、テーブルに置いた大皿に盛ったサラダを、家族全員がフォークですくい高くもちあげます。
サラダは大皿からこぼれ、テーブルの上はサラダまみれになります。
それを後で食べるのですが、家族たちは実に楽しそうでした。
また、スペインでは大みそかに赤い下着を身につけ、新調することが若い人たちの中で多いそうです。
こうすると恋愛運が上がるとか。テレビに映し出された人は、ズボンからはみ出した赤いトランクスを「チョイ見せ」して、楽しそうでした。
それらの人たちは、ほんとうに幸せそうでした。
そこで、感じたことがありました。
それは、幸せとは、「なにを幸せだと思うか」を見つめることだということです。
日本人からみたら、「食べ物をいっぱいこぼしてはしたない!」とか「真っ赤な下着を見せて楽しいの?」というように、まわりの人がどう思うか、どう感じるかを気にするでしょう。
日本では、まわりの人へどう映るかを気にしすぎるのではないでしょうか。
そして思うのです。
それらの人たちは、ほんとうに幸せそうでした。
そこで、感じたことがありました。
それは、幸せとは、「なにを幸せだと思うか」を見つめることだということです。
日本人からみたら、「食べ物をいっぱいこぼしてはしたない!」とか「真っ赤な下着を見せて楽しいの?」というように、まわりの人がどう思うか、どう感じるかを気にするでしょう。
日本では、まわりの人へどう映るかを気にしすぎるのではないでしょうか。
そして思うのです。
多くの人がスマホをもち、SNSに投稿します。
そこでは、まわりの人びとの評価を気にします。
「いいね」を何人が押すとかフォロワーの数が何人になったかが気になります。
でも、「自分はいったい、幸せとは何だと思うか」をじっくり見つめ、考えることのほうが大切だと思うのです。
「いいね」を何人が押すとかフォロワーの数が何人になったかが気になります。
でも、「自分はいったい、幸せとは何だと思うか」をじっくり見つめ、考えることのほうが大切だと思うのです。
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