箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

家出とは「甘えたい」という願い

2020年10月10日 09時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ


いまの中学生の場合、「家出」する子は、私が学級担任をしていた教員の頃に比べ、ぐっと少なくなりました。

いわゆる「非行」という問題行動に走る子も、少なくなりました。

私の場合は、新任時代に自分の担任するクラスの子が、5月から家出をしましたので、先輩の先生についてもらい、いっしょに校外を探し回りました。

家出は、家庭の居心地がよくなくて、親から離れたいという、ある意味で、思春期の子の「独立したい」という気持ちを代弁する行為のように思えます。

しかし、実際は違います。

家出とは「自分にもっと関心をもってほしい。自分にもっと目を向けてほしい」という気持ちの表れであると、わたしは解釈します。

ですから、学校の先生は、生徒が家出をしたら、帰ってくるまで待つのではなく、探しに行きます。

学校ではクラスのどの子にも公平に接します。

でも、クラスの子が家出をして、学校にも来なければ、教師はその子を「特別扱い」して探すのです。

探すことは、クラスの大切な一人を忘れていない、大事に大事に思っているというメッセージです。

子どもは、どの子も新しい世界に入ることを不安に思ったり、おびえたりするものです。しかし、お母さんとの関係で守られているという十分な安心感をもつ子ほど、独立心が高く、親から離れていくことができます。

つまり、母親への幼少期からの愛着関係をもっている子は、それを担保にして、自立への道を歩みやすいのです。

外の世界で、高い意欲をもって、イキイキと活動できる子というのは、(帰ろうとすれば)いつでも帰る居場所のある子です。
家庭が真の意味で居心地のいい場所になっている子なのです。

ですから、わが子がもし家出をしたら、親は親として一生懸命にわが子を探してほしいのです。

「家出」は甘えたいという気持ちのあらわれです。


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