私は、教育にしても、子育てにしても、その極意は「待つ」ことにあると思います。
そして、「待つ」ことは「信じる」ことに通じるのです。
土に植えた種や球根は、やがて芽を出し、歯をつけ、いつかは花を咲かせます。
どんな花になるか、はたして花が咲くかもわからない。
それでも、きっときれいな花をつけるだろうと、信じて水を与え、待って見守ることができる人は、子どもをそだてるのがうまい親であり、教師です。
大人が傍で待ってくれている時間は、短いものではないのです。
愛情をかけ、長い時間をかけるからこそ、その子のペースで内面を耕していきます。
社会のルールを取り込み、自分の得意なことや好きなことを知り、自分の中に小さな誇りを育てていきます。
待ってもらえることで、心を成熟させていきます。
それは、ちょうど十分に赤くなり、熟したトマトが甘いのと同じです。
大事に大事に育てて花が咲いたとき、親の喜びこの上なく大きいものです。
と言いたいところですが、じつは親や教師は、そのとき気づきます。
じつは本当に幸せだったのは、「どんな花が咲くだろう」と思いながら待つ時間だったのだということを。
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