箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

主権者教育を学校で行う

2021年11月29日 07時01分00秒 | 教育・子育てあれこれ

若い人の中にいかに貧困が広がっている実際のところを為政者はあまり知らないのではないかと思うことがります。

新型コロナウイルスが全国に広がったこの1年と半年で、相談機関へはとくに若い女性の相談が急増したのです。

家に帰れず、バス(バスカフェ)の中で夜を過ごす少女たちが、東京の繁華街にはいます。その日の食べ物を求めて集まってきます。

「学費が払えない」「家賃が払えない」「今日食べるものがない」という声です。

また、今の日本には生活に困窮する大学生を支援する公的な制度はありません。

多くの人が受給をためらうと言われる生活保護でさえ、大学生は対象外です。

親が出してくれる学費以外は自分でアルバイトなどをして稼がなければならないのですが、コロナ渦で飲食店のアルバイトが減り、困窮を極めているのです。

若い女性は児童福祉と女性支援の制度のすき間からこぼれ落ちてしまいがちです。

これは社会の制度・しくみの問題です。


「若者は選挙に行かない。政治に無関心」と為政者は言います。「声を上げなければ制度は整わないよ」と言います。

でも、教育関係者としても反省ですが、いままでおとなは子どもに権利を主張する方法を十分に教えてこなかったのです。

マイノリティから声を上げて、社会や政治を変えるというプロセスを保障してこなかったのです。

いまでさえ、声を上げていない人が多いのです。みんなが「サイレント・マジョリティ」です。

声を上げないのは、賛成していることと同じであるとみなされるのです。

また、声を上げている人に対しては、支えなければならないのです。


制度や法令に不備があるなら、声をあげなければならない。

一人の相談者から相談を受け、役所や政治家に働きかける。その働きかけが社会を変えるのです。同じような苦しみを味わったり、同じ境遇に置かれている人への道が開かれていく。

このしくみを、学校教育の中で児童生徒が学習できる教育を提供(主権者教育)するのは、学校の責任でもあります。


4 コメント

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おはようございます。 (アリス)
2021-12-01 09:36:13
返信を拝読し、ご丁寧な回答に感謝申し上げます。

教育に関しては無知で申し訳ありませんが
率直な意見と独断と偏見な内容だとお考え
になって頂いても結構だと思っています。

ただ言えることは教職員の皆様方が苦悩している
現状も十分に理解しております。

最近ですと、モンスターペアレントという
のもあり相当に難しい状況だろうと思います。
また、日教組の圧力もあり大変だと思います。

しかし、学校での人格形成には大きな問題点が
あるように思います。

この世の中に完璧な人間は居ないと思います。
誰もが叩けば誇りが出るのは現実の社会です。

従って「性悪説」を中心とした教育が最も
求められている時代に突入していると思います。
どうも有難うございました。
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Unknown (mi3chu-kocho)
2021-12-01 09:14:22
コメントをいただき、ありがとうございます。

今の文科省は経済産業省寄りの教育政策をとっており、society5.0を見据え、学問を積むことが社会で役立つ、つまり社会に役立つ人を育てる方向にシフトしています。

しかし、本来の教育の目標は「人格の完成」(教育基本法)であり、人は存在そのものが尊いのであり、学問を積んでいるかどうかとは別の問題です。

中学校段階までで学習したくない人がどのようないきさつや背景で学習したくなくなったのか。学校教育関係者としてはその点を問題としたいです。そこに、家庭環境、社会のしくみの要因があり、学習ぎらいになっているのなら本人の問題ではないのです。そのような生徒にはサポートが必要になると考えます。

およそ30年前あたりから学歴至上主義には変化が起こっていますが、ご指摘のとおりその残影はいまも残っているのは事実だと思います。

先行きの不透明感が増す今の日本社会で、大学生活も大きく変化しています。新型コロナウイルスで、学生はキャンパスに入れず、みずから学ぶ意欲があり向学心があっても研究や学習が十分にできない現状です。

コロナが落ち着いたらもとの大学生活に戻るかといえば、もう完全に元には戻らないでしょう。

そういう状況で希望する人の全入制は、実現は難しいでしょう。

オンライン授業ですべて十分かといえば、そうではなく、いまは大学の自治活動であるサークル活動も十分にはできていない状況です。
大学生活とは、学問が第一義ですが、それだけでは語れない価値があると思います。

たしかに、日本は学問のとらえ方がかなり遅れていると、わたしも考えています。その意識改革は必要かと思います。

ご意見の一つ一つに十分に答えることはできていませんが、お許しください。

義務教育関係者からみた、いまの教育について私見を述べさせてもらいました。
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初めてコメントします。 (アリス)
2021-11-30 20:21:54
仰ることをよく理解した上で非常に疑問に思っていることをコメントします。

原点に立ち返って学問とは何かを考える世の中になって欲しいと思います。

一般的に学校で教えてもらうのは性善説です。学問をすると頭が良くなり社会に大いに役立つ?本当でしょか?

義務教育は小中で9年間です。それで十分な人と、更に学問が必要となる職業があります。

なので、勉強したくない人はそもそも行く必要はありません。無駄な時間を使っても将来の自分の生活には役立ちません。

次に高校大学という学歴の必要な職業はどんなものか?所謂、専門職だろうと思います。

現状ですと、学歴社会で成り立っていることが悪です。すべての経営者が錯覚を起こし、学歴が高い人ほど良い経営者だと思っていませんか?

もしも、無学でも、高学歴でなくても立派な経営者の方はいませんか?存在すると思います。

そこで、疑問なのは勉強をしたい人がどうして学ぶことができない環境か?それは入学試験があるからです。

この試験に受かるには相当な収入がないと受からない環境があるからです。

では、この入学試験をなくすとどうなるのでしょうか?誰もが高校・大学で学ぶ事が出来ます。

また、収入の少ない家庭の子供でも学問が出来る自由な環境が出来ます。

更に、東大でも京大でも何処でも好きな大学に入学する事が出来ます。

逆に言えば、人気のない高校・大学は倒産し廃校となります。一般社会の企業と同様に需要が無ければ成り立たなくて当然の結果と言えます。

しかしながら、無試験で入学するんですから学生の数が多すぎて修学の管理が可能か?

それは生徒自身の勉強によって学習しない学生は単位が取れなければ落第となり、それよりは酷い学生は自然の退学となります。修学には不要な人材です。

従って、入り口は簡単ですが出口が厳しいシステムに変更すれば良いことになります。

更に、本来、勉強の方法は全ての事を教授から教えてもらうのではなく自習が基本と考えれば良い事です。

しかし、それでも教えを乞う学生は学校に通学すればよい。しかし、通学しなくても定期試験を通過し単位を取得した者には卒業証書を授与すれば良いだけです。

また、働きながら単位取得したい人はネット動画配信の授業で勉強する時間を自由に選択できるシステムがあればよい事になります。

ですから貧困学生というのはチャンスが広がり働きながら自由に勉強ができます。従って政府からの補助金などいう愚策は不要となります。

では、世界の国々でこのようなシステムは存在しないのか?答えは存在します。

学問についての考え方が日本は相当に遅れているといえます。学問専門家の堅い頭が問題なのではと思っています。

最近の傾向としては職業専門学校が多くなってきている気がします。或いは塾の学習能力が学校と大きく乖離しています。

なので、極端に言えば学校不要論も増加してきているのでは?と愚考します。

非常に批判的で、奇抜な意見とお感じだと思いますがご容赦ください。

一般社会においてこの学歴を重視しない社会が未来の日本ではと思っております。
学問は実社会で殆どカネにならない。

何故なら政治家諸君のIQは非常に高い。ですが今の世の中で殆ど役に立たない現状は非常に遺憾です。
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初めてコメントします。 (アリス)
2021-11-30 20:21:49
仰ることをよく理解した上で非常に疑問に思っていることをコメントします。

原点に立ち返って学問とは何かを考える世の中になって欲しいと思います。

一般的に学校で教えてもらうのは性善説です。学問をすると頭が良くなり社会に大いに役立つ?本当でしょか?

義務教育は小中で9年間です。それで十分な人と、更に学問が必要となる職業があります。

なので、勉強したくない人はそもそも行く必要はありません。無駄な時間を使っても将来の自分の生活には役立ちません。

次に高校大学という学歴の必要な職業はどんなものか?所謂、専門職だろうと思います。

現状ですと、学歴社会で成り立っていることが悪です。すべての経営者が錯覚を起こし、学歴が高い人ほど良い経営者だと思っていませんか?

もしも、無学でも、高学歴でなくても立派な経営者の方はいませんか?存在すると思います。

そこで、疑問なのは勉強をしたい人がどうして学ぶことができない環境か?それは入学試験があるからです。

この試験に受かるには相当な収入がないと受からない環境があるからです。

では、この入学試験をなくすとどうなるのでしょうか?誰もが高校・大学で学ぶ事が出来ます。

また、収入の少ない家庭の子供でも学問が出来る自由な環境が出来ます。

更に、東大でも京大でも何処でも好きな大学に入学する事が出来ます。

逆に言えば、人気のない高校・大学は倒産し廃校となります。一般社会の企業と同様に需要が無ければ成り立たなくて当然の結果と言えます。

しかしながら、無試験で入学するんですから学生の数が多すぎて修学の管理が可能か?

それは生徒自身の勉強によって学習しない学生は単位が取れなければ落第となり、それよりは酷い学生は自然の退学となります。修学には不要な人材です。

従って、入り口は簡単ですが出口が厳しいシステムに変更すれば良いことになります。

更に、本来、勉強の方法は全ての事を教授から教えてもらうのではなく自習が基本と考えれば良い事です。

しかし、それでも教えを乞う学生は学校に通学すればよい。しかし、通学しなくても定期試験を通過し単位を取得した者には卒業証書を授与すれば良いだけです。

また、働きながら単位取得したい人はネット動画配信の授業で勉強する時間を自由に選択できるシステムがあればよい事になります。

ですから貧困学生というのはチャンスが広がり働きながら自由に勉強ができます。従って政府からの補助金などいう愚策は不要となります。

では、世界の国々でこのようなシステムは存在しないのか?答えは存在します。

学問についての考え方が日本は相当に遅れているといえます。学問専門家の堅い頭が問題なのではと思っています。

最近の傾向としては職業専門学校が多くなってきている気がします。或いは塾の学習能力が学校と大きく乖離しています。

なので、極端に言えば学校不要論も増加してきているのでは?と愚考します。

非常に批判的で、奇抜な意見とお感じだと思いますがご容赦ください。

一般社会においてこの学歴を重視しない社会が未来の日本ではと思っております。
学問は実社会で殆どカネにならない。

何故なら政治家諸君のIQは非常に高い。ですが今の世の中で殆ど役に立たない現状は非常に遺憾です。
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