千葉県流山市流山、かつて流山糧秣廠があった平和台の近くに、流山寺という寺がある。この寺は、洞雲山流山寺といい、薬師如来を本尊とする曹洞宗の寺である。創建は江戸初期であるが、境内は比較的小さく、本堂の建物は新しく再建されたもの。
実はこの流山寺に句碑がある。それは、栢日庵の庵号をもつ、今の松戸市馬橋の人、大川斗囿という俳人の句碑である。大川斗囿の父、大川平右衛門は大きな油屋であると同時に俳人であり、立砂という俳号をもっていた。また栢日庵の庵号も立砂の代からであり、立砂は小林一茶と親交があった。
松戸あたりもそうであるが、流山でも醸造業がさかんで富裕な商人もおり、そうした人たちが好んで俳諧を嗜んだが、流山でみりんの醸造をおこなっていた商人であった、秋元双樹も小林一茶と親交のあった俳人として有名である。
流山寺の句碑は、上部が三角にとがった形の石に、流麗な書体で句が刻まれている。
名月やいずれの用にたつけぶり 栢日庵斗囿
この1831年(天保二年)に建てられた句碑の「名」の字の左横に大きく窪みがあり、ひび割れているのが分かるであろう。
<流山寺の句碑(拡大)>
誰がこんな傷をつけたかといえば、太平洋戦争中に空襲によって被弾したということである。その傷がなければ、風雅な良い石碑であったが、戦争の傷跡を今に伝えることになった。
なお、この寺には入口のところに、柱状のものの上に、俵に乗った大黒様の像がある。三頭身にもみたない頭でっかちで、かなりデフォルメされている。しかし、眉毛がつながったような面白い顔で、ほほえましい。
<流山寺の大黒像>
また、その横になにか仙人のような石像があり、大きく袖をひるがえし、杖をもっているが、はたして何を彫ったものであろうか。表情もとぼけている。足もとには、三猿が彫られている。そういう形は、よく庚申塔にみられるが、これはどういうものであろうか。それにしても、ユーモラスな石像である。
<大黒の隣にある石像>
なお、この流山寺の周辺には、小林一茶・双樹記念館や双樹の墓のある光明院など、俳句にかかわる場所が多い。
しかし、石碑の傷には気づきませんでした。
戦争の傷ということなので、実物を見に行きいたと思います。
さて、老人の石像ですが、これは猿田彦大神と思われます。野田の須賀神社に大きいのがあります。
流山寺の句碑は、最初見たときに石の性質で自然にはがれたのかなと思いましたが、石材としてはよく使われていそうな石なので、人為的に壊されたかと思い直しました。
そして脇にある案内板を読んでなるほどとわかったわけです。
石像は猿田彦大神の庚申塔らしいですね。野田にもあるのですか。東葛飾の北のほうに分布しているのでしょうか。
松戸市の大谷口神明社にもあるそうです。なにかとぼけて味のある像ですね。