「千葉県の戦争遺跡」HP http://www.shimousa.net に、懸案の木更津海軍航空隊を追加した。また、第二海軍航空廠も同様に追加した。かなり、長い時間がかかったが、やむを得ない。
木更津航空隊は、巨大な飛行場を有し、負の歴史であるが、日中戦争時に渡洋爆撃(南京、重慶など)を行った。その当時の九六式陸上攻撃機(中攻)は、陸上攻撃機の花形であり、一式陸攻が出るまでは陸攻の主力であった。木更津は、鹿屋とともにその中攻の拠点であった。
今後は、房総のもう一つの海軍のメッカである、館山空をめざして行きたいと思っている。
千葉県の戦争遺跡は、現在木更津海軍航空隊、第二海軍航空廠について、「房総の海軍基地」のなかにアップし、ようやくわが海軍航空隊の記事が千葉県内においてもでき、なんとか体裁が整ってきたと思う。そのHPの充実化とともに、BGMを変えようと考えた。今までは、音楽著作権を気にするあまり、HPの雰囲気にそぐわないクラシックなどにしていたからだ。たどりついたのは、「青年よ団結せよ」の歌。
「青年よ団結せよ」の歌は、ソビエトのV.クルーチニンが作曲、P.ゲルマンが作詞した歌で、日本の戦後学生運動のはじめのころ、よく歌われた。当時は、イールズ声明反対闘争が東北大学から始まり、レッドパージ反対の広範な運動が展開された。その中で、この歌は歌われた。自由・平等・博愛のフランス国旗に似た三色旗(平和運動の象徴である)を掲げたり、剣道部の部員が防具をつけたまま、この歌を歌っていたのを記憶している。
友よ肩に肩を組みて
砕け敵を
我等こよなき自由を
守りたたかいぬかん
輝かしき栄光を
得(う)るはやすからじ
幸にみちあふるる
我が春をもとめん
友よ肩を組めいざ進まん
平和をかざし
輝かしき世界創るため
行け行け堂々と
(楽団カチューシャ訳詞)
今とは違い、当時の学生は何かと議論をし、学内外で問題があれば、みんなで団結して運動を行ったものである。戦後4,5年たっているとはいえ、みな貧乏であり、学費を稼ぐために肉体労働のアルバイトなどもよくしていた。朝鮮戦争で景気がよくなり、アルバイトの口は多くなったのは良いが、学内では反動攻勢が強くなり、トルーマン・ドクトリンが日本の隅々まで具現化していっているような気がした。
おまけに弾圧をきっかけに党は分裂、国際派全学連は党中央からにらまれ、また国際派全学連も四分五裂、最後には解体、所感派が牛耳ることにあいなった。
実は「千葉県の戦争遺跡」HPのBGMとして、今までクラシックなどを使ってきたが、どうもHPとマッチせず、いろいろ探したところ、この歌に行き着いた。もっとも最初は「モスクワ郊外の歌」にしようとしたが、案の定音楽著作権でどうにもならないのであった。
ところが、「青年よ団結せよ」の音楽素材があるはずがない。学生運動の歌としては、「国際学連の歌」が圧倒的に有名であり、YouTubeにもあがっている。一方、後にあまり歌われなくなったというこの歌は、知らない者も多いのだろう。
洋楽が好きな森-CHANが、発注して作ったBGMは、あまり完成度が高いとはいえないが、折角なのでHPのBGMとし、別にアレンジしたものも作った。かくして、ようやく「千葉県の戦争遺跡」HPのオリジナルBGMができあがったのである。
なお、「千葉県の戦争遺跡」HPのBGMのアレンジ版を作ったY陸軍少佐の孫YさんはYouTubeに、「青年よ団結せよ」をアップした。音源はロシアのものを使ったそうだ。
http://www.youtube.com/v/JXPbv3j-8b4&hl=ja_JP&fs=1&border=1
(写真は、上が海上自衛隊木更津補給処の格納庫、下が第二海軍航空廠の飛行機部工場跡)