言語空間+備忘録

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財務省の財政赤字削減スタンス

2010-03-08 | 日記
高橋洋一 『日本は財政危機ではない!』 ( p.24 )

 財務省内で増税を強く望んでいるのは主計局である。財務省が強い力を保持できているのは、政治家に予算を配分する立場にあるからだ。その役割を担っているのは主計局。永田町を支配するためにも、主計局は予算を配れるよう常に自分たちの財布をいっぱいにしておきたい。だから、増税を主張する。
 小泉改革で景気は回復して税収が五兆円の自然増になった。それを全部、財政赤字の穴埋めに使えば、その分赤字は減るので、税収増は本来なら歓迎すべきことである。だが、財務省主計局はそうは考えない。
 二〇〇六年度の財政赤字は、当初予算で二九兆九七三〇億円、約三〇兆円だった。仮にその年度に見込まれる五兆円の自然増収を全額、赤字減らしにあてれば、二〇〇六年度の赤字は二五兆円まで減る。すると、次の年度は、二五兆円を上回る赤字予算は組めない。もし、そんなことをすると、マスコミから安倍政権は財政再建を真剣に考えていないと批判される。歳出削減というハードルも一層高くなり、主計局は苦しめられる。
 そこで増収分のうち一・五兆円を補正予算で使う。すると、二〇〇六年度の赤字は、約二七兆円となって、翌年の歳出削減のハードルは下がる。
 主計局にとって経済成長による税収増はしょせん臨時ボーナスのようなものでしかない。彼らが狙っているのは、あくまでも、恒久的に自分たちの財布を確実にパンパンにしてくれる増税だ。赤字の額を減らせなければ、増税の議論を持ち出しやすくなる。しかも、一・五兆円の補正予算を組み、カネをバラ撒けば、永田町への影響力も保てる。
 さらに、大型補正予算の編成で安倍内閣の支持率が下がれば、改革路線の内閣を潰せる。一・五兆円の補正予算は、どう転んでも、主計局にとってうまみがあった。


 財務省は本気で、財政赤字を削減しようとしていない。財務省は予算に余裕があれば、補正予算でバラ撒き、永田町への影響力を保とうとする、と書かれています。



 たしかに、本当に財政赤字を削減しようとしているなら、自然増収分は全額、赤字減らしにあてたはずである、ということになるでしょう。



 それでは、財務省が増収分を全額、財政赤字の削減にあてなかったのはなぜか。

 上記引用部を読むかぎりでは、財務省が本当に望んでいるのは、政治への影響力の維持・拡大、あるいは、既存の官僚機構の維持ではないか、と推測されます。



 ところで、この本のタイトルは、『日本は財政危機ではない!』です。このところ、日本の国家財政は大ピンチである、という意見が多くなってきていますが、上記、財務省の行動が示唆しているのは、「日本の国家財政には余裕がある」、ではないかと思います。

 財政に余裕がなければ、財務省は、財政赤字の削減を、もっと真剣に行っているはずである、と考えられます。

 「財務官僚は無能、あるいは無責任である」と考えれば話は別ですが、そのように考えないならば、「財務省が自然増収分の一部をバラ撒いたのは、財政に余裕があるからである」と考えてよいと思います。



 いまとなっては、2006 年度の財政赤字が約 30 兆円だった、と言われても、「小さな金額」だと感じてしまいますが、当時は、「大きな金額」だと感じていたはずです。本当に財政に余裕があるとするならば、いま、税収をはるかに超える国債が発行されても、「どうってことはない」のかもしれません。

 「かもしれない」と書いているのは、論理的には、「財務官僚は無能、あるいは無責任である」という可能性もありうるからですが、財政の現状を誰よりも詳しく知っている財務官僚の行動から考えるかぎりでは、この可能性は「まず、ありえない」と考えてよいのではないかと思います。



 しかし、このような根拠では、安心感は得られないと思います。

 そこで、今度はこの本、『日本は財政危機ではない!』を読みつつ、本当に「日本は財政危機ではない」のかを、考えたいと思います。

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