くう・ねる・よむ・はな

食べること、眠ること、読むこと、お花が大好き。そんなメイジャンが日々の出来事を綴った、のほほんor辛口日記

自由なこころ,自由な意見

2010年06月07日 | その他

飲食店に限らず,

「自由な意見を言ってもいい」という気風が無い限り,そのお店,業界,地域は成長・発展していかないのではないでしょうか?酸性雨

お店の雰囲気や接客,そして味をどう思うか,それこそ感想はいろいろ。自由であっても,いいのではないでしょうか?

正直な感想と,悪意のある批判は,まるで別のものです。福山はそれを判別できるだけの度量をもった都市に,まだ成長していないように私には感じられます。

人それぞれ好みは違います。

100人が100人とも声を揃えて「美味しい」と思うお店は少ないのではないでしょうか?むしろ,全員が同じ意見だったら…,ちょっと気持ち悪くないですか。

私が自由な意見を押さえつける人に,ここまで抵抗感を示すのには訳があります。人と上手く付き合って,まっとうな社会生活を送っている人達が,

「笑いながら平気で人を傷つけて憂さ晴らしをする。」,「腹と口は,まったく別。だから,言う事とする事が違う,」,「目の前で,人がヒドイ目にあっていても見てみぬフリをして,そんな事は無かったことにする。」

幼い頃から,ごく最近まで,そんな人しか知らなかった私は,(自覚はなかったものの)混乱したまま成長して,「自分が無い」人間になっていました。

一番困ったのは,いつも「相反するメッセージを同時に言ってくる人」でした。

例えば「外国くらい行ってみないとダメよ。」と長年言い続けていたのに、いざ友人に招かれて行く事になると「危ないから,行くのをやめなさい!」と大真面目で阻止するような人。

万事がこの調子なので,子どもの頃はもちろん,大人になってからも混乱は続いていました。

しかも,どちらを選んでも,そうした人達からは,必ず何かマイナスの言葉が返ってきます。

「それだから、あなたはダメなのよ。」,「(社会的な)力や才能がある人からの暴力やイジメは,よくある事。あなたくらいの人は,自分の身のほどをわきまえて,何をされても黙って大人しくしてなさい。」と。

長い,とても長い間,これに類する言葉を言われ続ける内に,私は感情を無くし,自分の意見を言う事が出来なくなっていました。

自分が生き延びるために,人を洗脳して利用する人。そういう人に利用され続けていた事に気付かなかった私。

しかし,人生は捨てたもんじゃありません。

敬愛する上司や師匠と出会えた頃から,心ある人,素敵な人に恵まれるようになった私は,乾ききっていた心に水や花びら(愛情,思いやり,親切)を貰えるようになりました。

そして,少しずつですが感覚を取り戻していく内に,「自分の意見を力ずくで押し付けてくる人は怖い」,「自由に意見を言うことが出来ない封鎖的な社会は息苦しい」、と感じるようになりました。

「健全な社会というのは,人はそれぞれ違っていて,人が自分とは違っていると認められる社会のことなんじゃないか」と思うようになったのです。

私は,この2年間で3店,自分のお店の評価(ブログ)に,とても神経質で,頑なな考えを持ったお店の人と出会いました。こだわりとは,何かが違っていて,…とっても息苦しかった。

その一方で,「人の批評は聞きますよ。何でもと言う訳じゃないですけどね。
でも,『あの時は腹が立ったけど,なるほど,それも一理あるな』と思うようになってからは,段々と,素直に耳を傾けるようになりました。
その方が成長できるし,自分も楽になるし,料理の幅も広がりました。」と話してくださった料理人さんにも,何人かお会いする事が出来ました。

私自身は,大人になっていない器の小さな人間ですが,こうした柔軟で,前向きな心意気を持った方のお話を聞いていると元気と希望が湧いてきます。

私は自由になりたい。

過去のしがらみから立ち直って,自由に自分の意見を表現できる人間になりたい。人を信じ,周りにいる人を怖い敵ではなく仲間と思えるようになって,安心できる世界を自分自身の力で作っていきたいです。

そして,私が暮らすこの街に「柔軟な心と,誠実で真摯な姿勢を持った人」が作る料理を楽しめるお店がいくつも出来て,新しい風が吹く街に変わっていくよう,願ってやみません。

どうか福山が「自分が感じた自由な意見を話してもいい気風」を持った,もっと風通しのいい都市になっていきますように…。

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