真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

ジャングル大帝 7

2006年08月26日 12時26分55秒 | 虫プロジャングル大帝
1月 1話のシナリオは既に出来ていた。山本さんは、「ジャングル大帝」に、まずは、なじんでもらおうと、全スタッフで1話を取り掛かるように指示した。
絵コンテも、山本暎一さんはじめ林重行さん、永島慎二さん、瀬山義文さん、北野英明さん、の5人で合作した。
2月に入って、やっと原画と動画の作業が始まった。枚数制限を1話2800枚と決めたが、動物アニメなので、枚数制限は守られぬことが多かった。作画が始まると、続いて他のパートの作業も始まっっていた 。
3月 撮影出しが始まり20日過ぎにはラッシュ試写も出来た、3月末には編集も終わっていた。
声優は山本暎一さんの希望でパンジャとナレーションを小池 朝雄さん。また音響の田代 敦巳さんの意見でレオに大田 淑子さんを決めた 。
 田代さんが居る音響の部屋は、第二スタジオ一階の奥突き当たり資料室の手前左にあった。部屋は北向き、木造の学校のような窓があり駐車場が見えた。音を作るためのテープやレコードがあり、予定を書く大きな黒板。プロ用の、幅広テープのレコーダーも置いてあった。
田代さんはバンドを組んでいたほど音楽好きで、アトムで進行として入ってきた。
虫プロでも音響をするべきだと進言して、虫プロ音響班を立ち上げた。
音楽は田代さんが今まで関わって、その才能を高く認めていた、富田 勲さんに決まった。
 あるとき田代さんは音響の部屋へ暎一さんを呼んだ、ちょうど富田さんと打ち合わせをしていた時であった。
「1話のクライマックスで、レオがアフリカに向かって海を泳ぐシーンに、歌を付けたいので暎一さん作詞してください」
「作詞家に頼むよりジャングル大帝のことをよく知っている、暎一さんが書くべきです」と言うのであった。
だめなら、それをもとに作詞家に頼んでもよいからと言い、富田さんが、食事に行っているうちに、書いておいてと言われた。作詞は初めての経験、苦しんだが、何とか30分ぐらいで、書いた。
寂しがらないで レオ
ママが一緒よ  レオ
ママはここ 星になったのよ.......。
食事を終え戻ってきた富田さんはそれを見て、「作詞家を頼むことないよ、イメージがわいた、」その詩のまま曲をつけ、レオがアフリカへ向かい泳ぐシーンに使われた。歌ったのは前年「こんにちはあかちゃん」のヒットを飛ばした、梓 みちよさんであった。

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