前回、私自身の戦略として語彙力の増強を優先している、ということを書きました。
なぜそうするのか。それは、”英語に対する恐怖感を払拭する”ことを優先したいからです。
言うまでも無く、本当の意味で英語力をあげるには、4技能のいずれにおいても”量をこなす”ことが絶対条件です。リーディングの能力を上げるにはたくさんの英文を読まなければいけないし、リスニングができるようになるにはたくさんの英語を聴かなければいけません。スピーキング、ライティングについても同じです。これを否定する人はいないでしょう。
この”量をこなす”ことをやる上で、語彙力が不足していると、練習そのものが非常に大きな負担になってしまうのです。いざ英文を読んでみても分からない単語だらけ、では、はりきって勉強をはじめた所で、すぐに打ちのめされてしまって挫折してしまうのは目に見えていますよね。このインプット作業における心理的・技術的負担をできるだけ早い段階で小さくしておくことが得策だと、私は考えています。
インプットしながら語彙力を増やす方法ももちろん考えられます。しかし、私のような気が小さい人間、根気の無い人間には、ちょっと負担が大き過ぎるんですね。なので、在る程度の語彙力をしっかりつけるという、比較的手っ取り早くできる所を先にやっておいて、後々の練習をできるだけ楽にしたい、と目論んでいるわけです。
実際、今の私は、ある程度まとまった英文を”読む”という作業においては、おっくうさを感じることが無くなりました。できない人にとっては、A4 1ページ程度の英文を読むだけでも非常に”めんどくさい”ものですが、今の私は、長い英文を”目で”追いかけることに関しては、特に決心(笑)しなくても気軽に行うことができます。英字新聞も、まだまだ意味が取れない所も多々あるにせよ、”楽しく”読み進めることができるようになりました。少なくとも”読むぞ!”という決心は必要ないんです。仕事でも、時々来る英語の長いメールや文献を目で追う作業については、おっくうだと思うことはありません。これは何と言っても語彙力を鍛えたおかげだと確信しています。大学受験生レベルの語彙力では、とてもじゃないですが、今の境地には至っていないはずです。そしてこの力は、別に、英文を”読んで読んで読みまくる”という作業を通して培ったわけでもないんです。私にはそんな、いつ終わりを迎えられるとも分からない”無限地獄”ともいえるような苦行を続ける根気も精神力もありませんから、そんな事はしたくありません。
リスニングについては、私自身実力はまだまだなのですが、リスニングの練習をするにしても、”目で読んでも理解できない”英文をいくら聞いたところで、理解できるはずがないのです。当たり前ですね。これは聞き取り能力の問題ではありませんよね。そして、聞く能力の鍛錬と語彙増強の鍛錬を同時にするのはとてもじゃないがストレスが膨大ですので、私はそれもやりたくないんです。もちろん、いくら語彙を鍛えた所で知らない言い回しが1つもなくなるなんて事はまずあり得ませんが、在る程度の語彙力があって、目で追ったときには大部分が理解できるという力があってからの聞き取り練習の方が負担が少ないのは明らかです。
この戦略が正しいかどうかは知りません。邪道だ、というお叱りを受けるかもしれません。でも、いいじゃないですか。私の人生です。偉そうな事を言う輩が、私の貴重な人生の責任を取ってくれる訳じゃありませんし。自分の気力、体力、そして、能力の限界を正確に見積もること、そして、それに応じた現実的なトレーニングメニューを立てること、そうでないと、とてもじゃないが続けられるわけがない、そのためには少々邪道だろうが何だろうが知ったこっちゃない、というのが私の考えです。どんなに立派な”正攻法”でも、途中で挫折してしまっては何の意味もありませんよね。
なぜそうするのか。それは、”英語に対する恐怖感を払拭する”ことを優先したいからです。
言うまでも無く、本当の意味で英語力をあげるには、4技能のいずれにおいても”量をこなす”ことが絶対条件です。リーディングの能力を上げるにはたくさんの英文を読まなければいけないし、リスニングができるようになるにはたくさんの英語を聴かなければいけません。スピーキング、ライティングについても同じです。これを否定する人はいないでしょう。
この”量をこなす”ことをやる上で、語彙力が不足していると、練習そのものが非常に大きな負担になってしまうのです。いざ英文を読んでみても分からない単語だらけ、では、はりきって勉強をはじめた所で、すぐに打ちのめされてしまって挫折してしまうのは目に見えていますよね。このインプット作業における心理的・技術的負担をできるだけ早い段階で小さくしておくことが得策だと、私は考えています。
インプットしながら語彙力を増やす方法ももちろん考えられます。しかし、私のような気が小さい人間、根気の無い人間には、ちょっと負担が大き過ぎるんですね。なので、在る程度の語彙力をしっかりつけるという、比較的手っ取り早くできる所を先にやっておいて、後々の練習をできるだけ楽にしたい、と目論んでいるわけです。
実際、今の私は、ある程度まとまった英文を”読む”という作業においては、おっくうさを感じることが無くなりました。できない人にとっては、A4 1ページ程度の英文を読むだけでも非常に”めんどくさい”ものですが、今の私は、長い英文を”目で”追いかけることに関しては、特に決心(笑)しなくても気軽に行うことができます。英字新聞も、まだまだ意味が取れない所も多々あるにせよ、”楽しく”読み進めることができるようになりました。少なくとも”読むぞ!”という決心は必要ないんです。仕事でも、時々来る英語の長いメールや文献を目で追う作業については、おっくうだと思うことはありません。これは何と言っても語彙力を鍛えたおかげだと確信しています。大学受験生レベルの語彙力では、とてもじゃないですが、今の境地には至っていないはずです。そしてこの力は、別に、英文を”読んで読んで読みまくる”という作業を通して培ったわけでもないんです。私にはそんな、いつ終わりを迎えられるとも分からない”無限地獄”ともいえるような苦行を続ける根気も精神力もありませんから、そんな事はしたくありません。
リスニングについては、私自身実力はまだまだなのですが、リスニングの練習をするにしても、”目で読んでも理解できない”英文をいくら聞いたところで、理解できるはずがないのです。当たり前ですね。これは聞き取り能力の問題ではありませんよね。そして、聞く能力の鍛錬と語彙増強の鍛錬を同時にするのはとてもじゃないがストレスが膨大ですので、私はそれもやりたくないんです。もちろん、いくら語彙を鍛えた所で知らない言い回しが1つもなくなるなんて事はまずあり得ませんが、在る程度の語彙力があって、目で追ったときには大部分が理解できるという力があってからの聞き取り練習の方が負担が少ないのは明らかです。
この戦略が正しいかどうかは知りません。邪道だ、というお叱りを受けるかもしれません。でも、いいじゃないですか。私の人生です。偉そうな事を言う輩が、私の貴重な人生の責任を取ってくれる訳じゃありませんし。自分の気力、体力、そして、能力の限界を正確に見積もること、そして、それに応じた現実的なトレーニングメニューを立てること、そうでないと、とてもじゃないが続けられるわけがない、そのためには少々邪道だろうが何だろうが知ったこっちゃない、というのが私の考えです。どんなに立派な”正攻法”でも、途中で挫折してしまっては何の意味もありませんよね。