まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

コンパニオンと農業

2011年02月28日 17時42分47秒 | Weblog
自分の農業について考える。

農業も今の時代は多様化の時代だなぁと思う。慣行農業、有機農業、自然農法、良く分からない民間農法が多数と・・。
これも情報と物に溢れているからこそだろうと思う。

これからはどういう農業が正しいのだろう?


農業を含め第一次産業と言うのは国が成り立つ底辺部分で、その上にある工業がこの国では発展しすぎている。

底辺が小さく中腹が太ると国は倒れるか?崩れるか?もしくは周りの国に支えてもらうか?である。
食べ物と言う価値よりも貨幣価値が上回る、もしくは支配されたためだろう。

先進国の農業を見てもGM作物であったり、大規模農業での土の風化、流亡であったり、農薬、化学肥料など農業における環境破壊は深刻で、そういう国こそ有機農業先進国であったりする。
実際は農業と言う底辺が大きくってもその土台はもろかったりする。
何れ潰れてしまう土台は危険だ。その国に支えてもらっている我が国も・・。




昨日、消防団の旅行から帰って来た。宴会でのコンパニオンと話すのは苦手だ。
勤めていた時、上司に連れて行ってもらったキャバクラもそうだったのだけど・・。

何が苦って本心で喋らない話に答えるのがめんどくさい。

本心ではない話が殆どだが、ここに来る理由は金儲けのためだと言う。
これは本心だろう。どういうご事情があるか分からないが。

人は誰しも正しさと言うものを持っていて、そこに引きつけられている。ただ育ちであったり、社会の形であったり、金銭的理由であったり、家族の為であったり、何らかの理由で離れて行く。

ただ思うのは彼女達はまともかもしれない。
誰しもが正しいと思わない職業を選ぶのだから。

ズルイのは「私は正しいですよ」と言いながら正しき方向へ進まない人だ。
良い言葉を並べて、いかにも正しいことをしているように見せかけてその中身は全く無かったりする。そういう人こそ社会的に認められたりもする。


彼女達を見て農業を思う。

コンパニオンのようにいかにも正しくない農業と言うものがある。それは今も続いている。一方で多様化してきた農業で多くの人が正しさを訴えるようになってきた。だが実際その中身が無い事が多いのも事実だろう。



正しさというのは難しいし、見えてこない。
それは誰もが持っていて、誰もが分からないもの。そして誰もが常に引きつけられているもの。どんな悪人でも。
産まれた時は正しさしか持っていなかったのだから当然だろう。

人生と言うのはそこから離れ、戻ることだろうと思う。
その結果正しいのかどうかなんて誰にも分からないが、こういう歩みこそ人が生きる意味のような気がする。

ただ今の社会では正しさに向きを変え歩むことが難しいし、苦しい。
すると自分の人生を辞める人が増えてくる。

日本の自殺者は世界的に見ても多いようだ。

また金銭的理由でそこから離れることしか出来ないのは深刻だ。格差の社会はそういう人が増える。



私にとって農業とは、戻って行く歩みだと思っている。



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