まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

向き合って

2011年03月24日 07時04分16秒 | Weblog
ラジオを聴いていて応援のメッセージやこれに答える被災地のメッセージが多い。

アンパンマンマーチを聴いて改めて子供達もそこにいることを再認識する。


だが怒りの声、物資が届かない、政府の説明がない、などの不安の声は少ない。
そして連絡が取れない避難所が山ほどあって、瓦礫の下で息をしている人、途絶えた人がまだまだ沢山いるはずだ。
果たしてどれだけ・・・

甲子園も始まってこれから先の希望の光に日本中が進み始めているようにも見える。だがこういう方たちがまだ沢山おられることを忘れてはいけない。
原発もまだ放射能物質が舞い上がっている。

これから先、例えば8人が希望の光を見出せたとしても2人が見出せないなら、私はこの2人に目を向けて行きたい。



「種を播く季節だが誰も買ってくれないから播いても仕方が無い」

原発から近い地域は救援物資も燃料も届き難い状態が続く。
皆放射能が怖くて引き返してしまう。

多くの人が生まれ育った地元を離れ原発から逃げる。いつ帰れるか?帰られないかもしれない、という思いの中。


巨大地震に津波、さらに追い討ちを掛けるように原発事故は多くの人の気力を奪っている。

食べ物という生きる基本の部分である作る事を許されず、物資も届けてくれず見放され、故郷を失う辛さは私たちには想像できるはずも無い。
果たして現地の人たちが希望があるのかすら私たちは知らない。


もし私なら・・・種を大地に落とす事が許されなくなれば・・
恐らく希望は持てないだろう。幾ら目の前に札束を積まれても。放射能という得体の知れないものに汚染されてしまったその大地に何を思う。お金なんて欲しくないから日々の暮らしに戻りたい、戻る希望を持ちたいと強く思うに違いない。

避難所に救援物資が届かなく寒さに震え、このままでは餓死してしまう恐怖の中に希望はない。
何を信じれば良い?原発よりも何よりも早く助けてくれと思うに違いない。

放射能による子供達への不安は計り知れないし、避難所にいる子供達の様子も心配が尽きないだろう。



私たちは安易に希望を見出してはいけない。
遠く離れているからこそ、見守り、向き合い、考え。
静かに、力強く生きたい。

震災直後の絶望は今も続いている。
にも拘らず「希望を持とう」なんて誰が言える。
誰しもがあの時希望なんて持てなかったはずなのに。。

個の弱さの逃げ場にしてはいけない。
きっとあなたが被災地に行くと希望なんて持てない。と言いたい。
静かに涙し、食いしばることしか出来ないだろう。
きっと。

しっかりと向き合ってもらいたい。
今は希望が持てなくても、その遠い先にはきっと希望があることを胸の奥底に。


今は静かに、静かに。






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