まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

くらしを紡ぐネットワーク 夏の集い

2012年06月10日 15時17分46秒 | Weblog
集まってくださった皆さんありがとうございました。


今回も沢山の方が来てくださいました。
写真で見ると沢山ですね・・持ち寄りも豪華。



前々日に祖父の葬式がありなんだか落ち着かない中始まった今回の集い。

心も体も落ち着かない中、掴み所のない話しで申し訳ありませんでした。



祖父は病院で寝たきりの状態が続いていて、そのまま病院で息を引き取った。
私の感覚はようやくお体をお返しできたという安堵があった。
恐らく魂は半分以上はあの世へ行っていて、この世の人の意思で体と一部の魂をここに留めていたように思う。

祖父の死は多くのことを学ぶ、知る、考えることを与えてくれた。

時代と共に死の在り方は変わっているが、人の根本的な部分は今も昔もそう変わっていないのかもしれない。そう感じる。
昔の人でも現代生活を送れば今と同じ価値観で死というものを捉えるのではないか?
今も昔も人は変わっていない。

変わったのは時代。
私たちの周りの環境、生き方、暮らしが私たちに与える影響は大きい。

日々の暮らしが私の考えや、感覚、私自身を作り、魂を育てる。
反対に考えや、感覚を鈍らせ、自身を傷つけ、魂を縛りつけるのも日々の暮らし。

この くらしを紡ぐネットワーク は何気ない日々の日常こそ大切に豊かに生きよう、そう望む人たちの集まりである。


変化のスピードが速い近年、私たちの価値観や考え方の変化も早い。
世代から世代へと受け継がれるものを途絶えさせ、常に新しい変化を望む。

次の世代では今の価値観は通用しないはず、ならば今の常識に捉われない、持続可能な価値観を創造しよう。

5年もすれば、この地は溝掃除をする人すらいなくなるかもしれない。それは農村が維持できなくなるということを意味する。
そして、多くの暮らしのために培った技術、職人といわれる人がいなくなるのもこの5年10年ではと危惧する。

それは、私たちから生きる術を失うことを意味する。

多くの人は意志のない仕事により、金銭のための労働が当たり前になる。
そこに倫理が生まれるだろうか?。
法律によって規制され私たちの心や感覚、魂は置き去りになる。経済優先の社会。

まさにサラリーマン8割の今の社会がそうであるが・・・。

猶予は5年10年。

見渡せば多くの可能性が広がっている。
3・11が多くの人を気づかせ、
破壊から創造へと歩みだした。



今回の夏の集い、
ある方から「とりあえず集まっているという感じが良い」とご意見をいただいたが、とにかく形のないところから生まれてくるものを求める。
あるのは私の意志、そしてそこに共鳴して集まってくれたみんなの意志で、それは何れ目に見える形、現象として現れると信じている。

これから、まつなが畑を中心に集まり、顔を合わせることを大切に繋がって行きたいと思います。

来月はシガセイサクショさんが企画して集まる場を作ります。(詳細は後日ブログにて)
皆さま是非お越しください。

援農も6月は12日17日24日26日にあります。こちらもご連絡いただければご参加いただけます。

次回秋の集いは10月です。(こちらも詳細は後日)



 

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