再び訪れた福島。
今回も色々と感じて帰ってきました。
福島の地に着いた時は「久しぶり」という感覚、放射能に対しての恐怖も薄れていました。
ですが、震度3の地震には少しビビリました。おかげで寝不足に・・。
1日目は小さなお話し会で出合った福島出身の方のご実家、渡利地区へ。
ちょうどその方ともお会いでき、朝食をご馳走になりながらお話しをする。
とても穏やかな方で、福島の郷土料理を頂きながらゆっくりと時間が過ぎる。
初めて福島に入った時は放射能に警戒していたが、こうして福島の方とのお話しをする時間はここ関西と何も変わらない時間が流れる。
最後に「活動に使ってください」と封筒を差し出して頂きましたが、お気持ちだけ頂いてありがたくお断わりさせていただきました。
とても心優しい方でした。
その後、同じ渡利地区のシュタイナーの幼稚園の方にお話しを伺いに。
床や壁を自分達で作ったという園舎を見せていただき、説明をしていただきました。
近くの玄米菜食のレストランでお話しをしながら昼食。
途中何度か沈黙がありました。
それは、強い信念のもと子ども達の為に保育をしてきた方の苦悩です。
私はその方に小さな光でもと話しを進めますが、その深い闇に吸い込まれるようです。
福島の問題は深いのです。とても。。
美味しいご飯を頂いた後は農民連の産直カフェへ。
放射能測定した地元の野菜と奈良明日香からの野菜を売っています。
ここでも先の見えない苦悩がありました。
今は何とか踏ん張っているという感じを受けます。
必ずしも奈良産だけのものが売れると言うわけでは無いですが、奈良の野菜を置くことでお客さんが戻りだしたという事です。
直売所は地元の新鮮な野菜を置く場所です。
この苦悩は福島にいる人、農家でないと分からないでしょう。
「除線はやれることは何でもやる」というように、ここで生きるという事に深い意味と苦悩が共存しています。
私たちはどういう目線で福島の農家、農産物を見れば良いのでしょうか?
2日目は振津かつみさんと合流して飯舘村の避難者の方で必死に立ち直ろうと活動されている方にお会いしに。
少し活動内容が見えにくかったのですが、お話しする中でだんだん見えてきました。
「かーちゃんの力プロジェクト」という名の通り、私の母親世代が立ち上げた団体です。
私は、ここでは正直に書きますが、子ども達、若い世代に目を向けてきましたが、この年代の方には関心を寄せていませんでした。今回も会うまで知らなかったのですが・・、そこまで考える余裕がなかったという事が正直なところです。
今回お話しする中で感じたのは、4,50代、60代の方にもまだ先、人生があるという事です。
この年代の方はいち早く移住をと考える方は少ないかもしれません。ですがここ福島で生きていくにはとても過酷です。
また、そのご家族、若い世代の問題にも関係することです。
ここの問題とても大きいと感じました。福島に住む方たちを忘れてはいけません。
で、福島で生きる人がいるという事は私達にも関係することです。
そこで放射能と付き合いながら農業を営む方がいるということです。農業を生きがいとしてきた方に農業を取り上げる権利は、果たして私達にあるでしょうか?ここでは、測定して20ベクレル以下と基準があります。
関西にいてわざわざ福島県産を食べるでしょうか?
福島ではどの方も必死で歯を食いしばりながら生きています。
果たしていつまで続くのでしょうか??
報われる時は???
この問題はとても長く続きます。事故から一年が経って希望を持って前へ進んできた方達が進む感覚を感じる事が出来なれば確実に踏み出すスピードは遅れて行きます。
福島が必要としているのは周りの関心と前進です。
その後は相馬の避難所へ飯舘村の方にお話ししに振津さんに付いていきました。
飯舘の事故当時のお話しを聞く事ができました。
振津さんの雰囲気で伝わります。
「私になんか言われたく無いと思いますが・・・」と振津さんのお話し、私は福島で人として学ぶことが多いです。
福島で活動をされている方は本当の中でされています。
現地の声を!現地で活動されている方を中心に!と強く願います。
避難所の方たちは放射能に対して多くの不安と、疑いを持っていました。
ここには必要なアドバイスを与えてくれる方、情報がありませんでした。振津さんが真摯に話しを進めます。
避難所生活だけでも大変な中、放射能の問題が重く、深く影を落とします。
今回の福島入りで感じたことは、心が前進しにくい中、確実に時間が流れているということです。
踏ん張ってきた方も、だんだん体力に限りが見えてきた時期に差しかかっているように感じます。
先が見えない、分からない、どうしよもない。
そんな中、時間だけが刻々と流れます。
問題は1年経っても全く解決されず、1年、2年、3年と経つにつれ膨らんでいくでしょう。
早い対応が求められていますが・・・「分からない」が付き纏います。