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イエス・キリストのブログ
プロテスタント(バプテスト派)

手話奉仕について

2011-03-10 23:24:42 | 教会
大和カルバリ-チャペルのインターネットの水曜日の祈祷会の手話奉仕の証がありました。

ある1人の女性の証でした。
初めは、口パクでもいいから、手話奉仕をして欲しいとろう者の方から依頼があり、口パクの奉仕から始めたそうです。

そして、讃美の曲しか手話が出来なくて、みじめに思った時もあった。
そして、説教の通訳が出来なくて、大泣きをしたときもあったと、言っていました。

私は、その女性の次の言葉に感動をしました。
一生懸命に話をしてくれる牧師の通訳が出来なかった。」

私は、その女性が神の御言葉を、牧師を通して、ろう者に伝える役目の重荷を感じていることに、すごく感動をしました。


ヘブライ語、ギリシャ語の勉強をしている今の私は、次のような思いが与えられています。
牧師の日本語を、手話通訳をすることは、2重訳の側面を否定が出来ない部分があること。
2重訳になると、原文の意味から離れている場合が時に応じてあることを感じています。


ときどき、日常の手話とキリスト教の手話と2種類ある場合があります。
2例をあげると、「神」と「罪」が日常とキリスト教の2種類の手話があります。
「神」は、日常では神社に参拝する時に「手を合わせる」の手を合わせると日常の手話の神です。
もう1つは、指文字で「か」として、右上に上げると、右上の「か」がキリスト教の神です。

「罪」は、警察が手錠をかける時に、グーのまま腕をクロスさせると、日常の手話の罪です。
もう1つは、蛇の手話が、原罪が蛇から由来することから、蛇がキリスト教の罪です。


言葉とは、なかなか難しいと改めて感じています。
全国の手話奉仕をしている皆さんの上に、主の祝福がありますように。