これ!どう思います?

マスコミがあまり報道しない様な問題を、私なりに考えてみます。

令和維新のすゝめ (その9)

2020-11-07 11:55:41 | 社会問題
★★★★ 技術革新と物作り ★★★★
【はじめに】
 今回は、第一次産業の改革について書きます。日本では農林水産省が管轄している「漁業」、「林業」と「(畜産業を含む)農業」を第一次産業と呼びますが、世界では一般に「鉱業」も含まれます。

 日本の第一次産業の共通の課題は、高齢化と後継者不足です。 一方、近年・世界的に異常気象が続いているので、食糧の適正な輸入依存率を検討/議論して、農業政策を見直す必要が有ると思います。

【私の故郷の第一次産業】
 私の故郷は和歌山県の竜神村です。殆どが険しい山で、川沿いに棚田と段々畑が少しだけ有ります。戦前は田畑と山林の多くは、少数の地主達が所有して、多くの村民は小作と山林の賃仕事で生活していた様です。昔は木材や木炭が高かったので、山林関係の仕事の収入で村民は生きていけたのです。

 戦後、農地解放で小作人は僅かの田畑を手に入れましたが、各家で必要な米麦などを賄えませんでした。 山林の開放は行われ無かったので、山林地主は健在でした。その後、木材価格が暴落して、2軒残っていた山林王は没落した様です。

 昔は、村外に住む山林の所有者は”山番(山守)”を雇って管理して貰っていました。 国から山林に補助金が出て、林道が整備される様になった頃から(皮肉にも)木材価格が下落し始めたので、山番に依頼する人は殆どいなくなってしまいました。 森林組合が山番の仕事をする様になりました。 高齢化が進んだので、森林組合は都会からも若者を雇っています。

 2010年ころから高齢化のために、放置された梅畑や田畑が増えて来ています。 一部には太陽光発電パネルが設置されています。

(余談 :坑道) 第二次世界大戦中には鉱物資源不足が深刻だったので、私の故郷でも細々と採掘した様です。 所々に坑道が残っていて、蝙蝠を見に二、三回行ったことが有ります。

【農業】
 昔は・農業に関する記事には『専業農家』と『兼業農家』と言う言葉が登場しましたが、(1947年~49年生まれの)団塊の世代が70歳を超えてリタイアしたので、兼業農家とは言えなくなっています。会社を辞めて、農地は近所の農民に委託する人が増えている様です。 平野部の農地の集約を進める絶好のチャンスだと思います。

 日本政府は、コソコソと農業の効率化を進めています。国民の同意を取り付けて、大っぴらに、大胆に進めるべきだと考えます。山村の農業/平野部の農業、野菜農家、果樹農家・・・細かく分けて効率化を追求すべきです。 1ha(≒1町歩)以下の野菜農家ですが、「年間売り上げが3,000万円ほど有る」、「これ以上農地を広げるのは無理だ」と言われた方がいました。

 米農家の効率化とは農地の集約を意味します。「後継者のいる専業農家を支援して、20ha~30haを所有して貰う」のが私の考えです。農協は組合員が減少するので、多分・反対するでしょう! 金持ちを→より金持ちにする政策ですから、国民の同意を得るには政治的エネルギーが必要です。 日本の農家の1戸当たりの耕作面積は2ha程ですが、アメリカは170ha、オーストラリアは3,000ha程も有ります。

 中小企業が代替わりで相続する場合は、事業が継続出来る様に相続税の軽減が行われています。 私は、「農業を原則として法人化(株式化)する様に指導して、一子相続を認め、相続税を軽減すべきだ」と思います。 『たわけ者』=田畑は分割しては駄目です! 

(余談 :美味しい葡萄) 我が家はお中元を止めて、9月に岡山県の葡萄農家から葡萄を送っています。JAを通さないないで、夫婦で頑張っている農家です。今年の葡萄の出来は少し悪かった様ですが、この農家のは例年と全く同じで、美味しかったです。

【畜産業】
 私は20軒ほどの集落で育ちました。田畑の総面積は5ha弱ほどだったと思います。8軒ほどで農耕用の牛を飼っていました。稲藁、麦藁と草を食べさせていました。 棚田で広い田圃でも1反(300坪)程しか無かったので、子牛を買って2年ほど使ったら、平野部の農家に売って、又・子牛を買うのです。 大きくなった牛は肉になりました。 当時・全国では農耕用の牛を沢山飼育していたと思われます。

 日本は雨が沢山降るので、草は嫌になる程生えます。牛、馬、山羊、羊は全国何処ででも飼えます。豚と鶏には穀物が必要なので、飼料は輸入しなければなりません。 日本では大規模な畜産は無理ですから、安いい肉を国産化するのは無理です。黒毛和牛の様な高級肉の生産に特化すべきです。 牛乳は長持しないので、船での輸送が難しい為に国産しているのか?

 猟師に補助金を出して、野生の猪、鹿、熊などの肉を流通させるシステムを作る事を、国に検討して欲しいです。 一石二鳥の案だと思われませんか?

(余談 :軍鶏<シャモ>) 私が高校生活を送った和歌山県の田辺市には鬪鷄神社が有ります。 軍鶏(シャモ)を戦わせる闘鶏(とうけい)とは無関係です。シャモが日本に入って来たのは江戸時代ですが、鬪鷄神社は日本書紀が完成する720年より前に創建されています。(鬪鷄神社は武蔵坊弁慶ゆかりの神社と言われています。弁慶の父は田辺別当=神官のボスでしたが、弁慶は悪僧だったと言われています。矛盾しませんか?)

 2000年頃、大阪府郊外の鍍金(メッキ)業者に大きな部品を持ち込んだり、受け取りのためにトラックで何回もいきました。約束時間を守るために何時も、早めに出発して有る工場の横で時間調整をしました。その工場には広い空き地が有って、周囲に長屋の様な金網小屋がヘンスの様に並んでいました。 中は幅2m程に区切られていて、シャモが一羽ずつ飼育されていました。 多分・社長がシャモの保存会の方だと話していたのですが、餌を遣っていた社員に聞くと、「社長がシャモ肉が好きなので飼育している、美味しいらしいが私は食べた事が無い」と言っていました。

 シャモは天然記念物に指定されていますが、飼育して肉を売ってもOKです。 amazonは「6,000円/kg」以上の高値で販売しています。シャモ肉が本当に美味なら、全国的に普及させて、過疎地の産業に育てる案は如何でしょうか? (但し、シャモも鳥インフルエンザに罹る様です。)

【漁業】
 私は山村で育ったので漁業の知識は乏しいのですが、魚は大好きです。特に秋刀魚と缶詰のイカが好きですが、近年・高くなってきています。 国産のイカの缶詰は高くて、売っている店が少ないです。 大和堆では沢山イカが採れる様なのに、何故・国産は高いのでしょうか?

 日本の排他的経済水域は広大です。中国や北朝鮮の不法漁業を厳格に取り締まれば、日本に必要な量は確保出来る様に思われます。 中国は近年、大形漁船で南米諸国の排他的経済水域にも出没する様になっています。海上保安庁を拡充しても、中国に対抗するのは限界が有ります。 被害を受けている国と協力して、中国漁船を取り締まる必要が有ります。

 日本の漁業の問題は、漁民の高齢化、後継者不足です。 漁業権を大幅に見直して、漁業の株式会社化を推進したら問題の解決になるのでは?

★★ ご参考 :漁業権 ★★
 日本には『漁業法』が有り、漁業権が認められています。次男が小学生だった頃、近所の方が夏休みに子供を数人連れて海にキャンプに行きました。海胆(うに)が沢山採れて剥いて食べたそうです。怖そうな小父さんが来て、「勝手に採ってはいけない!」と怒られたそうです。かなり怖かった様でしたが、それ以来・次男は海胆好きになって居酒屋に行くと必ず食べます。

 川にも漁業権が有ります。我が家も日高川の漁業権を持っていました。小さな紙切れでしたが、一応・私が相続ました。更新手続きが必要だった様に思うので、もう失効しているでしょう? 日高川の漁業権は、明治の有る時期に、川沿いに有った家に与えられたそうです。その後に出来た家(例えば、分家)には与えられず、そして・漁業権の売買は禁止されていた様です。

 大昔から漁業権の制度が有りますが、現在の制度は戦後に農地解放と同時期に同じ考え方で改定されました。戦後75年も経ちますから、漁業を取り巻く状況が大幅に変化しています。 漁民の高齢化と減少、漁法の進歩、冷凍保存装置の普及・・・の変化。 漁業権を見直し→漁業を株式化して→効率化する。

★★ ご参考 :領海・排他的経済水域(EEZ) ★★
① 領海 :(大雑把に言えば)陸地から22.2km沖までが領海です。 更に、22.2km沖までを接続領域と呼びます。 日本には沢山・離島が有りますが、島の周囲も22.2km沖までが領海です。

② 排他的経済水域(EEZ) :陸地から370km沖までを排他的経済水域と呼びます。その外が公海です。

【林業】
 日本国内を旅行すると緑豊かな山々の景色を楽しめます。 然し、日本人にとって山林は空気の様な存在で、殆どの人は山林についての知識も興味も無い様に思います。

① 日本の国土の70%は森林です。 その内、40%程が人工林で、残りが天然林です。
② 森林の30%は国有林です。

 木材と山林の価格は暴落したままです。「安価な輸入木材が増加したためだ!」と言う方がおられましたが、私は「需要と供給の関係を無視した、歴代政府の林業政策が原因だ!」と言いたいです。

 人工林が増えて、手入れをしないで放置すると、川に土が溜まる様になります。 海に流れる栄養分が少なくなり、魚が取れなくなり、養殖にも影響が出ます。 現在の人工林を維持しても需要は期待出来ませんから、天然林に戻す施策が必要です。

 野生動物の数を調節していた日本狼を絶滅させてしまったので、猪や鹿が増え過ぎて農作物の被害が多くなっています。木材価格の暴落で、山村で生活出来なくなり→過疎化した事も原因です。 「都会育ちの役人が林業政策を立案するのは無理だ!」と私は思います。

●● 私と山林
 軍人だった父は、戦後・山奥の故郷に帰り、私は・そこで生まれ/育ちました。帰省後に父は木材と山林の売買を始めました。戦争で沢山の家屋が失われていたので、木材の価格は高く、父の商売は順調でした。 私は小学生になるズット前から、母に弁当を作ってもらって、毎日の様に父が雇ったトラックに乗って方々の山に行きました。十人ほどの人夫(にんぷ)に指示する父の傍で、一人で遊びました。 (当時の山村では、雨と大雪の日は休みで、日曜日も働きました。)

 時々、これから伐採する山や入札される山にも連れて行って貰いました。「南向きの山は木の成長は早いが良い木は取れない」、「こういう所に檜を植えては駄目だ」、「木の先端が鋭い形状だったら、まだまだ成長する。丸くなったら背丈は伸びない」・・・色々教えて貰いました。

 父は、「植林面積を増やして、下刈り、間伐、枝打ちをして良質の木を育てるのが国にとって重要だ!」と考えていたと思われます。 私はこの考え方には賛成出来ません。

●● 森林組合
 森林組合は100年以上前から有ります。私の子供の頃は、山を所有する旦那衆の結構自由な”非営利団体”だった様に思います。 段々と国が山林に補助金を出す様になって、森林組合経由だと簡単に申請手続きが出来るので、既得権団体の様になり、従業員が増加しています。 山村の企業の様な存在になっています。

 私が二、三歳の頃に私名義で父が買ってくれた小さな山を今でも所有しているので、私は竜神村森林組合の会員です。 山林の経営には専門知識が必要なので「森林組合は必要だ!」と思っているのですが、「永続可能な国の山林政策の立案/推進を阻害する存在になる」と考えています。森林組合の目先の利益を追求する考え方に立つと、天然林を伐採して植林面積を増やす方が好ましいのです。

 杉や檜の需要が回復するとは思えません。 需要を無視して杉や檜の植林を増やしたら、価格は益々低下してしまいます。そんな事を続けていたら、森林組合が破産するのは目に見えています。

●● 山林の価格
 私の所有する(6,000坪ほどの)山林を1970年頃に「2,000万円で買いたい」と言う人がいました。ちょうど・その時、西武池袋線の練馬駅から徒歩七、八分の所に有った(300坪ほどの)畑を、地主さんから姉の家に「急に金が入用になったので2,000万円で買ってもらえないか?」と言って来ました。 この畑の適正価格は5,000万円ほどだったと思います。 父に「山を売って、練馬の土地を買いたい!」と電話したのですが、首を縦に振りませんでした。

 あれから50年経ちます。 間伐や枝打ちを繰り返したので、杉や檜は大きく・立派に育っていますが、500万円でも売れないと思います。 練馬の畑の方は住宅街になって、現在は”400万円/坪”ほどするそうです。 山の裾に国道が通っているので、私の山は価値が有る方なんです。

 1971年に給料を貰う様になって、人を雇って間伐と枝打ちしました。その後、山の手入れに国から補助金が出る様になりました。 山の管理に私が使った金は(補助金を含めて)400万円以上になっています。

 故郷の竜神村は雨が沢山降るなどで、杉や檜の生育には適しています。それでも、植林に向かない山も有ります。現在・手入れをされていない植林地は、伐採して天然林に戻すべきです。 杉材や檜材の長期需要予想をして、需要を超える分も伐採して天然林に戻すべきです。 現在の木材価格と山林価格では、山村に人が住めません。

●● 有用木材
 昔は木造住宅が主流で沢山の木材(杉、檜、松、翌檜など)が必要でしたが、高層住宅が増えて木材の需要が急激に減少しました。 然し、政治家や役人は今でも、建築用の木材に固守している様に見えます。 日本に限れば木材の需要は減少して、種々の木材が使用される時代になって来ていると思います。

 私は木材加工工場を数か所見学しましたが、木材に樹脂を含浸させたり、板を加熱して曲げたり、合板の表面に突板を貼ったり、集成材の製造、・・・木材の加工技術が進んで、天然材よりも優れた板や柱が出来る様になっています。京都迎賓館の廊下の床材は、欅の突板を貼った物ですが、ハイヒールを履いた女性が歩いても傷が付かない工夫が施されているそうです。

 私は、「山林政策を立案する上で、現在のニーズ、木材の加工技術を調査して、将来予想も加味する必要が有る」、「現在の森林組合を生かすための補助金政策は駄目だ!」と言いたいのです。

(余談 :私の机) 1971年に入社した頃、企業の机は金属製でしたが、1995年頃には広い木製の机が主流になっていました。1985年に家を建てた時に、私はマホガニー製の163cm✕80cmの机を買って、今でも使っています。35年経ちますが、びくともしていません。 近年・家具と言うと、テーブル、机、椅子、ソファー、本箱、ベッドくらいになってしまいました。 上等な素材で作った家具は、二、三世代で使えますから、家具屋の経営は益々難しくなると思います。

(余談 :モンキーポット) 私は二人の息子に「拘りを持ったら、人生がより愉快に過ごせる」と言って来ました。次男がマンションを買う時に、嫁さんと二人で注文家具店を廻って、テーブルを物色していました。ある日、二人が急に来て「今から、テーブルを注文に行くから付いて来て欲しい!」と言うのです。並べた板材の中から客が好きなのを選んで、好みのデザインのテーブルを作ってくれる店でした。

 ザット見て・価格も手ごろで紋様も素敵な板が有りましたが、口には出しませんでした。息子が、「これを買いたいと思っている」と言ったのが、私が良いと考えていた板だったので、「良いね!」とだけ言いました。日立のコマーシャルソングの『この木何の木」のモンキーポットでした。テーブルにも座卓にも出来る設計にして、大事に!大事に!使っている様です。

【鉱業】
 現在、日本の陸の鉱物資源は掘り尽くされていますが、領海や排他的経済水域には夢の様な多量の鉱物資源が眠っていると言われています。 詳細が分かって来たら、中国が手を出して来る可能性が高いと思われます。 採取技術の開発と並行して、中国対策を検討する必要が有ります。

 技術開発が進んで、海底の鉱物資源が経済的に採取出来る様になったら、日本は資源大国になります。宇宙飛行士に掛ける金を、こちらの開発に廻して欲しいです。