金曜日1月2日
2,3日外に行っていないので出かけなければならない、今日は浜離宮、車で行くと駐車場で困るのでバスで出かけた、浜離宮、和服のご婦人、外人客が多くとてもいい傾向である、途中レストランが開いていなくて、浜離宮でトン汁と焼きそばやっていた、これも、特にトン汁が大サービスで、おいしくて、やわらかくて、量が多い、合気道のデモを見ながら食べる、
浜離宮内の船乗り場から浅草方面の船が出ていたのでゆったりと乗船する、船ではコーヒーを売っていた、途中ものすごいデザインの遊覧船に出会う、隅田川の沿岸前回乗ったときより緑の散歩道が沢山出来ていて楽しい、水もまったくにおいがなく日本もよくなったものである、車で来なくてよかった、
浅草吾妻橋につく、浅草の人出、ものすごいものである、浅草寺の人をご覧いただこう、実は、ここは、雷門方向からの一方通行で到底参拝なんか出来なかった、上海の35人死んだバンドの人出に近いものだったろう、二天門方面からいったのだが、民家の庭に見事な柿が実ったままになっていた、
2,3日外に行っていないので出かけなければならない、今日は浜離宮、車で行くと駐車場で困るのでバスで出かけた、浜離宮、和服のご婦人、外人客が多くとてもいい傾向である、途中レストランが開いていなくて、浜離宮でトン汁と焼きそばやっていた、これも、特にトン汁が大サービスで、おいしくて、やわらかくて、量が多い、合気道のデモを見ながら食べる、
浜離宮内の船乗り場から浅草方面の船が出ていたのでゆったりと乗船する、船ではコーヒーを売っていた、途中ものすごいデザインの遊覧船に出会う、隅田川の沿岸前回乗ったときより緑の散歩道が沢山出来ていて楽しい、水もまったくにおいがなく日本もよくなったものである、車で来なくてよかった、
浅草吾妻橋につく、浅草の人出、ものすごいものである、浅草寺の人をご覧いただこう、実は、ここは、雷門方向からの一方通行で到底参拝なんか出来なかった、上海の35人死んだバンドの人出に近いものだったろう、二天門方面からいったのだが、民家の庭に見事な柿が実ったままになっていた、
その国家・民族の長き歴史によって取捨・形成されたものが『習俗』とか『文化』、あるいは「日本精神。」とか言われるものなのでありましょう…。
「神社仏閣詣で。」と言った『習俗』は、どうして行われているのでしょうかね…!
「死んだら、何も残るわけがない…。」と言われる東京老人さんは、どのように考えられますでしょうか?
そのことに関連して、日本語では「慣習と伝統。」は、しばしば区別なしに使われています。
そこでこの2つについて、ブログ・「チャンネル桜・瓦版」に纏めてみましたのでご覧になってみてください…。
日本での信心は遊びですね。
今年もよろしくお願いいたします。