日曜日
家内が外出したので、昼食を食べに行く、
堀越整骨院
ここは戦前から同じただ住まいである、後ろは慶応大学の建物、道路も昔からできていた、
同じく慶應義塾大学の新館、右奥に切通しのコンクリート擁壁が見えるが、ここは昔随分高かったように思える、
ゴーカート
三田通りを横断しようとしたら、このようなゴーカートの隊列が通った、
慶應中通り
この狭い商店街は昔からあり、たくさんの食事屋さんがある、
新しい店
ここに入ったら、エビ、メンチカツ、ヒレカツのソース丼をたべた、ソースカツ丼は好物なので、これはよろしいのだが、さすがに多すぎて少し残してしまった、
ここの三田図書館、電車に乗って青山一丁目の図書館に行って帰った、右側東宮御所の新緑が美しい。
家内が外出したので、昼食を食べに行く、
堀越整骨院
ここは戦前から同じただ住まいである、後ろは慶応大学の建物、道路も昔からできていた、
同じく慶應義塾大学の新館、右奥に切通しのコンクリート擁壁が見えるが、ここは昔随分高かったように思える、
ゴーカート
三田通りを横断しようとしたら、このようなゴーカートの隊列が通った、
慶應中通り
この狭い商店街は昔からあり、たくさんの食事屋さんがある、
新しい店
ここに入ったら、エビ、メンチカツ、ヒレカツのソース丼をたべた、ソースカツ丼は好物なので、これはよろしいのだが、さすがに多すぎて少し残してしまった、
ここの三田図書館、電車に乗って青山一丁目の図書館に行って帰った、右側東宮御所の新緑が美しい。
人生は、体に悪いことであっても、我慢ばかりすることは無いわけであります。
”酒なくて、何のおのれが桜かな”というのが、人生を楽しむものの在り方だと思いますよ…。
「美食は、有害(体に悪い)である。」が、たばこと『同様』止めることはないとは思います。
ただ、「『美食』で栄養をつけること(たばこを吸うこと)が、体(健康)に良い。」というブログを書くのは、止めたほうが良いと思うのですけれどね…??
無知と馬鹿の違いは、『無知』(無学)とは、怠けているため「知ら『ない』。」ということであり、『馬鹿』というのは、(私のように)情報・知識はたくさん「知っている。」(本を月に100冊購入・ビッグコミック・ゴルゴ13含む)のに、どの『知見』が正しいのか『判断』ができない(とほほ)奴(私)のことを言いますよ。
あなたは、「(すでに他の人が気づいたことが書いてある)本など読んでも仕方がない(独自の意見でなければ意味がない)。」として「本を読まない。」(知識がない)から、『無知』(無学・無学者論に負けず)だと言ったのであります…。
もっとも、あれこれコメントを申し上げているうちに「門外漢。」(興味がない)の医療関連のブログ(知見・論拠)が300本を越えておりますよ。 (ああ、人生=時間の無駄をしてしまった)
ああ、それなのそれなのに、貴方は『論拠』を提示することなしに「俺はそう思わない。 それは『自明』(何でや??、論拠要らず、通説、赤信号-とまれだぜ―皆で渡れば怖くない、多数意見=真逆が正しいは誰かのプロパガンダ、無学者論に負けず…)のことだと『頑固』(がんの因)に失敗(発病・通院・対症療法・血圧降下剤服用・無効のマッサージ…)を続けて、それを面白いブログにしてみなをたのしませています…。
だが、しかし、「はっと。」気づいたのですが、あれだけの『知見』(論拠・300本・私の意見でなく古今東西の賢人たちの叡智のパクリだけれどね)を述べたのに、あなたは『反証』を挙げることなく「俺は、そう思わない(無学者論に負けず)、僕の体験はどうよ?(賢者は歴史・他の経験に学び、愚者・馬鹿は体験に学ぶ)。」と『癌こ』(融通が効かない、自説=固定観念・通説に固執する)にくり返していられますよ…。
とすれば、「知らない。」(無知・無学)なのではなく(だって300本もの碩学の知見を、読んでいるんだぜ~)それを理解できない(判断力がない)という音なら、私と同じで『馬鹿』(頭が壊れている)なのかもしれないから、得意のCTスキャンで、「認知症。」の検査(得意の)を受けたほうが良いかもしれないですね!??
ああ、そういえば、出かけたのはいが、「何処へ行くのだか、何線の何駅(駅名)だか分らないので認知症(判断できない・馬鹿)かもしれない。」とブログしていましたね。
まあ、それが分かるのだから、言われるように『まだらボケ。』だと思いますが、原因は血圧降下剤の作用で、脳への「血流不足。」が原因だと何回も述べておるわけでありまする…。
閑話休題
さて、今回のあなたのコメントには思わず「にっこり。」してしまい(笑っちゃい)ましたよ。
確かに生命活動を維持するには食事(エネルギー補給)は「必要悪。」でありますが、「『消化』は、身体におおきなダメージ(身体的ストレス)。」を与えるものであります。
その証拠(?)とすれば、蛇が獲物を「のみ込む。」ととぐろを巻いて『消化』するまで動かない(動けない)でいるのですよ…。
貴方が、「空腹は、ストレスだあ~。」というのは、駄食で胃袋がブタみたいに(座敷犬もそうだ―いくらでも食べるぜ)胃拡張になり、「がつがつと食べたい。」という状態になっているからだろうと考えますね。
以前にもブログした(<空腹が、健康をつくる>)ように(ちゃんと読んで理解してよ! あっ、だめか、私と同じで、『判断』ができないんだ…)、《 空腹になると、脳から快感ホルモンのβ-エンドルフィンが分泌され、さらに気持ちを安定させる脳波(アルファー波)が出現するからであります…。(病気・がんの原因は、ストレス
=万病の元)》ということで、「ノーストレス。」になるんでやんすよ…。
じゃあ、どうして、サバンナの動物は、3食しっかり(惰性で)食べて(ブタみたいにいくらでも食べるから管理している)いる動物園の動物より「なぜ、」早く死ぬんだ。」という今回の(あほ)コメントについては、「生活(生存)環境。」が、サバンナは劣悪だからであり、3食食べる(とストレス⇒発病だよ)か「どうか。」の問題では、ありましぇん。
サバンナ対動物園で、動物園のほうが5倍生きるのは、主に食料給餌によるストレスのなさであり、サバンナは、猛禽類にとって、理想のストレスのない世界ですよ、
動物園には拘禁というストレスがあり、本来なら10倍生きるのが、そのストレスによって、阻害されているのです。
「生活(生存)環境。」が、サバンナは劣悪だからであり、3食食べる(とストレス⇒発病だよ)か「どうか。」の問題では、ありましぇん。
というのは間違いです、3食=ストレス=発病という偏った考えをブログにするのはやめてください。
前回のコメントは、一杯飲んでいたもので(言い訳)失礼なものであったことをお詫び申し上げます。
いささか訂正したものと続編をコメントしましたので、またご意見をお聞かせください。
なお、「3食=ストレス=発病という偏った考え方。」については、麻布問答に纏めつつありますので、さらにご批判いただけますようお願い致します…。
閑話休題
さて、今回のあなたのコメントについてでありますが、確かに生命活動を維持するには食事(エネルギー補給)は「必要悪。」であるとしても、「『消化』は、身体に大きなダメージ(身体的ストレス)。」を与えるものであります。
つまり消化作用とは、消化器(胃・腸)、肝臓、腎臓など内臓器に大変な『負荷』をかけ、「体力消耗。」(ストレス)を与えます。
その証拠(?)とすれば、蛇が獲物を「のみ込む。」ととぐろを巻いて『消化』するまで動かない(動けない)でいるのですよ…。
貴方が、「空腹は、ストレスになる。」というのは、『駄食』で胃袋がブタみたいに(座敷犬もそうなっており、いくらでも食べる)胃拡張になり、「がつがつと食べたい。」という状態になっているからだろうと考えます。
「必要代謝カロリー。」というのは、ごく僅かで良いので1日1食で十分なのに、3食も食べるのは、いわば「ブタ状態。」にあると言えます…。
機械でもフル操業を続ければ、疲労・磨耗して『故障』するように、内蔵器も3食休みなく稼働させていれば『病気』(故障)となりましょう。 (1日に1度は「空腹時。」をつくり、内臓を休ませることは、是非必要でありますよ)
以前にもブログした(<空腹が、健康をつくる>)ように、《 空腹になると、脳から快感ホルモンのβ-エンドルフィンが分泌され、さらに気持ちを安定させる脳波(アルファー波)が出現する 》ので「ノーストレス。」になるため「空腹だとストレスだあ~。」というのは「思い込み。」(供給側の洗脳・プロパガンダによる刷り込み)と「胃拡張。」によると考えます。
じゃあ、どうして、「サバンナの動物は、3食しっかり(惰性で)食べて(ブタみたいにいくらでも食べるから管理して)いる動物園の動物より「なぜ?」早く死ぬんだ。」という今回のコメントについては、「生活(生存)環境。」が、サバンナは『劣悪』だからであり、3食食べる(とストレス⇒発病だよ)か「どうか。」の問題ではないとこれまた考えます…。、
当たり前(だのクラッカー)のことでありまして、貴方(私でも良い)が「3食はしっかり。」と与えられたとして、サバンナのような野外に放置された状態(野宿生活、又はイラクの逃亡難民状態)にあると仮定した場合には、風雨、照り付ける真夏の太陽の紫外線(活性酸素の発生)に晒され、木枯らし吹き荒む酷寒の中にいたら、「私なら。」あっさり死んでしまうと考えられますよ。
動物園の動物は、たえず他の猛獣に襲われるストレスもなく、汚れた水(汚水)を飲むこともなく、管理された安全な(ノーストレス)「住環境。」にいるということが寿命が長い『理由』であり、「3食食べる。」からではないと思います。
人間の体が食事を完全に消化吸収、排泄し終えるまで、「18時間。」かかるから1日に1度、食事の間隔をこの18時間ぶんあけないといけない。
そうしないと内蔵は24時間つねに活動し続けることになり、1日に1度も内蔵を休めない人は、死ぬまで内蔵を休めない人である。
1日に1度、必ずこの間隔をあけている人は、毎日体を休めていることになるが、死ぬまで体を休めない人と、毎日休めている人では、その「体力差。」は自明であり、寿命にも大きく影響する。
夜6時に夕食をとったとすれば、ふつう次の食事は翌日の朝6時から7時ごろの朝食になるだろうが、これでは、まだ12~3時間しかたっておらず、体は排泄処理の真っ最中であるのに、次の食事が入ってきてしまう。
体が排泄に全力をあげなければならない時間に、もう次の消化吸収を始めなければならなくなるので、体にしてみれば、「ちょっと待ってくれ」と言いたいところであり、私のように食欲がないのは、当然である。
夜6時に夕食をとったときに、次に食事をとるべき適正な時間はいつかというと、それはずばり、18時間後の、翌日昼12時以降なのだ。
この時間まで食事をとらなければ、1日に1回、排泄は完全に行われ、内臓は充分な『休養』を取ることができる。
これを数日実践したなら、ここ数年、数十年味わったことのない、体の爽快感を知ることになり、体も心も軽い、じつに心地よい感覚である。
われわれがものを食べるときは、食べたいと思ったものを気軽に口に入れて数回噛んで飲み込むけだが、そのあと体はじつに「けなげに。」働き、この異物を体に取り込む努力をする。
胃腸はもちろんのこと、特に肝臓がフル回転して、栄養を貯蔵したり分解したり合成したり毒素の処理もする。
使い古した栄養は『腎臓』が回収して体外に捨てるが、ほかにも「あらゆる。」臓器が一丸となってこの新しく入ってきたエネルギー源の処理にかかる。
このように内臓をフル回転させる、非常に体に『負担』をかける行為が食べるということなのであり、疲弊した肝臓、腎臓ががんになることがある。
現代の食生活は消化吸収が大変に困難で、とくに肝臓を著しく酷使することになり、肝臓の疲れは、ただちに全身の疲れとなって現れる。
1日に18時間、何も食べない時間を作ることがいかに重要か分かるであろう。
「朝食を抜くと力がでない。」と思い込んで、奥さん(おっかない)から「食欲がないなんて言ってないで、ムリしても食べなさいよ…。」と言われるが、朝食を抜くと、ふらつくどころか、今までどこにあったのかと思うようなみずみずしいエネルギーが体の底からわき出してくるようになる。
あなたは、朝食を本当においしいと思って食べているであろうか?
起きたばかりで眠い、食欲はない、したがって味も分からない、それどころか、そもそも味わっている時間がない、なのになぜ、来る日も来る日も朝食をとっているのでしょうか…?
それは、食べないと体に悪いと信じ込んでいるからであり、だから、つらくてもとにかく朝食をかき込んでいる人もいるのではないか??
食欲がないということは体が食事を『拒否』している状態だからであり、体が食事を拒否しているということは、いま食べ物に入ってこられたら『困る』からだ。 (私は、食べたいときにしか食べない…)
そんなときに、「朝になったから。」というだけの理由で食事を詰め込むのは体を「いじめ。」ているに等しいし、どだい食欲もないのに食事をする動物も人間『だけ』である。 (えっ!私は人間でないのか!)
日本人における朝食の習慣自体も歴史が浅く、たかだか江戸時代から始まった、新しいライフスタイルにすぎないが、われわれは生まれたときから1日3食なものだから、これが正しい食習慣だと信じ込み、それを疑うことさえ知らない。
朝からおなかをすかせていのはせいぜい小、中学生までで、その年齢を過ぎた私たちが朝食をとるという行為は、「体の要求。」からくるものではない。
「朝食をとらないと体に悪い」という『強迫』観念からきているのと、幼児期からの『習慣』(惰性・何でか?などと考えていないわけ)であるため、朝になると「条件反射。」で(動物園の動物だ)、朝食を食べたくなっているだけである…。
脳はブドウ糖で動いているから朝食をとって糖分を補わなければ活動できないとか、だから朝食を抜くと勉強も仕事もできなくなって人生の落伍者になるんだとか、朝の『便通』のためにも朝食をとって胃腸の働きを活発にしなければならないとか、もっともらしい学者の意見を私たちは完全に鵜呑みにしてきた。
そして、とくに『戦後』、日本人は朝食という致命的な悪習慣を徹底し、「ガンや成人病、慢性疲労、うつ病。」への道を「突き進んで。」きたのである。
人間は「習慣の動物。」といわれるから、いつも朝食を食べている人がたまたま朝食を抜いたときに頭がボーッとするのは、ふだんの「生活習慣。」が一時的に乱れ、体が『混乱』したことによるもので、朝食を抜いたこと自体が悪かったのではない。
脳は、ブドウ糖が足りなければ体内の「老廃物。」のひとつであるβヒドロキシ酪酸を代替エネルギーとして使用するから問題ない。
便通が心配なら水を2、3杯飲んで胃腸に刺激を与えればすむことだ。
実際に朝食抜きを新しい生活習慣としたなら、どうなるかというと、朝から頭は冴えわたり、体は驚くほど軽くなり、格段に集中力が出て、気分が明るくなる。
駅のエスカレーターが混んでいれば、さっさと階段を飛ぶように歩いていってしまうなど、その差違は歴然で、いままであんなに「疲れて。」いた自分は何だったのかと愕然とする。
朝食を抜けば、慢性疲労は数日で完治、花粉症などのアレルギー性疾患も数ヵ月で治ってしまう。
こうした経験もなく朝食擁護論をとなえる人がずいぶん多いが、現代人が健康の『根本』のようにかたく信仰している朝食信心が、じっさいはわれわれの健康を根底から瓦解させていたのだ。
『常識』(通説・多数意見)なんて、こんなものであり、「天動説。」でさえ正しい時代があったのだから、べつに驚くことではない。
常識というと、何か「普遍の真理。」のように考えがちであるが、しょせん大衆の「多数決。」にすぎない。
世の中、「誤った。」常識(利得者のプロパガンダ)があふれているわけで、「朝食は食べるべきだ」というのも、そのひとつなのだ。
1日3食がいいか、2食がいいかと聞かれたら、1食でも多く食べたいに決まっている。 (朝三暮四に、少し似ている)
欲という色眼鏡が、正しい判断を妨げているのであリ、学者は、ご都合主義だから「1日3食がよいという医学的なデータが出るべきだ」と、はじめからそっちを期待して研究するのだから、正しい判断など望むべくもない。
現代の日本の栄養学は、西洋栄養学であるが、戦後日本の西洋崇拝が日本人の判断力をにぶらせているのも一因だ。
栄養学『万能』主義に依(よ)った誤った常識(例の『自明』の理)こそ、私たちの健康を『破壊』していることを、まず最初に肝に銘じておく必要がありまするよ…。
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しかし、もっと良い方法がある、朝食を自分で作るのだ、きやべつやセロリ、とまと、ドレッシングはもちろん自製、これはうまいよ、ウインナーは2本、またはベーコン、目玉焼き、マヨネーズのせ、
ご飯、納豆、これを食わないとあさのストレスが増すだろうな、
3食分を1食にすると、それはストレスが増す、なんで6時まで待っていなければならないのか、
動物園の猛獣でも毎食きちんと食べている奴は5倍生きている、拘束ストレスはひどいのにね、雨露、UVにさらされるというが、彼らはそれが運命、動物園に収容されているににくらべればストレスは何分の一にもなっているのだ、
この一例の証明はされていない、サバンナがストレスがあるというのはおかしいと思う、彼らは天敵はほとんどいない、食料がたくさんあるときは実にゆうゆうと寝ているではないか、
昼食だって、慶應中通りに行けば食事やが山ほどあって皆さんの来るのを待っている、おいしいものを少し食べるのに困らないね、