MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

初期の不徹底?

2014-02-26 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

02/26 私の音楽仲間 (566) ~ 私の室内楽仲間たち (539)



             初期の不徹底?




         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




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 演奏例の音源]は、Beethoven の弦楽五重奏曲 ハ長調
Op.29 から第Ⅲ楽章、“スケルツォとトリオ” の一部です。

 トリオの後半から、冒頭のスケルツォに帰り、楽章は終わり
ます。 スケルツォのテーマを担当するのは、主に ViolinⅠ。
でも、あちらこちらから大事なモティーフが聞えます。



 おや! それどころではありませんね。 スケルツォへ
戻った直後に、どうやら事故が起きているようです。

 この音源では、スケルツォへ入るのが、【0:23】の時点。
そして問題の箇所は、【0:29】の辺りです。




 「ははあ、なるほど。 さては…。」

 鋭い貴方には、事故の原因が思い当ることでしょう。



 そうなんです。 ここは “繰り返し記号” が印刷してある場所…。

 その記号のとおり、もう一度スケルツォの頭に戻った者と、先へ
行った者、その両方がいたからです。 大多数は先へ進み、残り
の者も気が付いて、すぐ同調したわけですが…。




 これでは、堪ったものではありません。 もし作曲者が聞いて
いたら、雷の一つや二つは落ちることでしょう。

 次の[譜例 1]はスケルツォの冒頭で、Vn.Ⅰのパート譜です。 



 ご存じのとおり、トリオから戻ったときには、スケルツォ内の
繰り返しは省略します。 それが当たり前なので、どの時代の
作曲家も、いちいち注釈を加えないのが普通ですね。

 今回の演奏も、同じつもりでした。 「“ストレート” (戻ったとき
には繰り返さない)
だよ」…と念のために確認してから、楽章を
始めたほどですから。



 「それでも “間違えた” 者がいたのか。 けしからん!」

 …まあまあ、お待ちください。 音を出したのは一回だけ
ですから。 おまけに、それだけでは片付かない問題まで
あるようなんです。







 ご覧のとおり、この最初の部分は8小節しかありません。
時間にすると、ほんの数秒間です。

 「…なるほど。 一回だけで先へ進んでしまうと、ちょっと
印象が薄いかもしれないな。 聞く者にとっては…。」



 そうですね。 にもかかわらず、“繰り返さない” のが
慣例です。 作曲者も、ここでは何も指示していません。

 指示が無いからには、やはり、絶対に繰り返しては
いけないのでしょうか?




 これと似たような例が、[譜例 2]です。

 テンポもほぼ同じ。  ここは “Allegro molto e vivace”
で、先ほどは “Allegro” でした。







 曲は、やはり “Beethoven の第Ⅲ楽章” で、交響曲
第1番。 弦楽器の部分だけ、ご覧いただきました。

 “Menuetto” と書かれていますが、「テンポも性格も
スケルツォ的」…と言われることが多いですね。



 この冒頭部分も、やはり8小節しかありません。

 「そういえば、もう一度繰り返した演奏を聞いたことが
あるよ…。」 そんなかたも多いのではないでしょうか。




 ですから、先ほどの事故も、誰かが “つい繰り返してしまった”
のかもしれません。

 単に注意不足で “間違えた” のではなくて…。 “繰り返し” の
演奏を日頃から聴いていて、それに慣れてしまったのでは?



 私も、実は迷いながら提案していました。

 (繰り返したほうが自然だけどな…。 でも、却って
混同するとまずいよね。 時間も無いことだし…。)




 この二つの作品は、作曲時期もほぼ同じです。 以下は、この
曲の関連記事で私が書いたものです。

 …この『弦楽五重奏曲 ハ長調 Op.29』は、1800~01年にかけて
作られ、1802年に出版されています。 作曲者がちょうど30歳を
越えた頃の作品で、『交響曲第1番ハ長調 Op.21 (1800年初演)』、
『6曲の弦楽四重奏曲集 Op.18 (1801年出版)』の直後に当ります。




 さあ、貴方ならどうしますか? 以下は二つの意見で、
まさに両極端です。



 「“二度目も繰り返せ” などとは書いてない。 だから慣例どおり
に演奏するべきだよ。 誤解を防ぐ筆致が Beethoven の信条だ。
余計なことをしてはいけない。」

 「いや、逆だよ。 たとえ慣例でも、彼なら “繰り返すな” と書い
たはずだ。 それが無い以上、前半も後半も繰り返すべきだよ。
メヌエットだろうが、スケルツォだろうが。」



 それとも、メヌエットとスケルツォでは、違うのでしょうか?
また冒頭では、小節数も関係してくるのか?

 私も、いよいよ解らなくなってきました…。




 ちなみにピアニストのかたも、おそらく BEETHOVEN では
悩んでおられるのではないでしょうか。 ピアノ-ソナタでは
初期のものを見ただけでも、同じような事情があるようです。



 作品2の三つのソナタ (1795年) は、以下のような外観です。

       Op.2-1 : メヌエット、14小節。

       Op.2-2 : スケルツォ、8小節。

       Op.2-3 : スケルツォ、16小節。



 ピアノ-ソナタで、以後メヌエットが現われないわけでは
ありません (作品10-3、1798年作 など)

 また、どちらでもない三拍子の曲が、“第Ⅲ楽章” として
置かれている場合もあります (作品7、1797く年作)。 結局
“3種類の三拍子” が混在していることにになります。



 さらに、楽章の数が “4より少ない” ソナタ (作品10-1、
1798年作)
もあります。 この場合、“第Ⅲ楽章の三拍子”
が無いのです。




 結局のところ、「メヌエットは古風なので、前半は8小節」…
などとは絶対に言えません。

 逆に、「BEETHOVEN でも、スケルツォと名が付いている
からといって、革新的な楽章だとは限らない」…のです。



 どんなに “革新的” に見えても、メヌエットは彼にとって、
あくまでも “メヌエット” なのでした。




 さて、この “繰り返し” の問題ですが、さらに他の例も見る
必要があるようです。

 “作品18 の弦楽四重奏曲” では、どんな様子なのか?



 メヌエット? スケルツォ? それとも、やはり “3種類の
三拍子” があるのでしょうか。

 小節数は、そして、繰り返しはどうしたらいいのか…?




           弦楽五重奏曲

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           交響曲 第1番

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