09/14 私の音楽仲間 (536) ~ 私の室内楽仲間たち (509)
ねぇ、今度は三人にしない?
これまでの 『私の室内楽仲間たち』
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[譜例 1]は、前回もご覧いただいたものです。
曲は Beethoven の弦楽四重奏曲 ト長調 Op.18-2。
第Ⅰ楽章の冒頭20小節で、ViolinⅠ のパート譜です。
今回の主役は、一段目から二段目にかけて見られる
“4小節の形” です。
この箇所、ちょうど “前半の締め” に当る。
続く “9” 以後は、主題を確保する部分です。 通常
は、同じ主題を単純に繰り返すだけですが、ここでは?
…音域や、音符の並び方が変化していますね。
作曲者が趣向を凝らし、20小節を巧みに纏めて
いるのが解ります。 恐るべきバランス感覚…。
でも先ほどの “締め” は、後半では登場しません。
どういうわけか…。
[演奏例の音源]は、次の[譜例 2]に先立ち、12小節前から
始まります。
この譜例は、ずっと先の第二主題。 それも再現部の…です。
一段目の “187” から Vn.Ⅱ が、そして “195” からは、
Vn.Ⅰ が、主題を繰り返します。 提示部とは、ちょうど逆
の順番で。
↓ ↓
この後、本来は23小節を経過して、次の[譜例 3]に続きます。
ただし、[この音源]ではカットがあるので、経過部分は18小節だけです。
この[譜例 3]では、“締めの4小節” が、また登場している。
そこで、楽章は終ってもいいはずですね。 でも、それでは
中途半端なのでしょう。
↓
↑
あるいは、すぐ最終段に跳んでしまってもよかったのに。
これ、第一主題の前半の形に当ります。
しかし、それも能が無い…。
代わりに Beethoven がやったのは、“締め”
の繰り返しです。 “展開” と言ってもいい。
それは、上の一段目の、後半の部分です。
このパート譜からは、そう見えませんが…。
展開は、展開部で行われるのが普通ですね。
しかし、必ずしもそうとは限らない。 特に、
BEETHOVEN では珍しくありません。
それでは、その一例として、この部分を見てみましょう。
再び[譜例 1]です。
これは冒頭の第一主題部分に当ります。 しかし
このうち、「展開が展開部で行われた」…と言える
箇所は、3小節目のモティーフだけなのです。
その特徴は、32分音符の鋭いリズムですね。
逆に言えば、このモティーフ、音程は自由に変えられる…。
それを巧みに用いた Beethoven。 リズミカルな動きで、
展開を24小節も続けています。
↓
↑
一方で、同じ32分音符がたくさん並んでいる形。
これが展開されるのは、はるか再現部になってからです。
では、“締めのモティーフ” が展開されるのは?
それは、楽章も押し詰まり、コーダに入ってからのこと。
下の[譜例 3]では、4小節目以降がコーダに当ります。
↓
ここで、モティーフを用いて喋っているのは、私以外の3人。
それも、フェルマータを挟み、切れ切れに…です。
この曲、『挨拶』の愛称で呼ばれることがある。
もちろん第一主題全体が、そう聞えるからです。
最後になって、別れの挨拶に加われず、傍聴するだけ
の私…。
「お名残り惜しや、ヒソヒソ。 …でも、あの人は放って
おこうよ。 いつも、一人で喋ってばかりいるからね。」
ところで、この “締め” の4小節ですが、
冒頭の20小節を締めてはいませんでした。
それがなぜなのか、もう明らかですね。
冒頭から何度も現われる、“Re - Sol” の形。 これ
は後に “La - Re” と音程を変えて、“提示部の締め”
の役割まで、仰せつかっています。
この上行4度の進行…。 終止形の骨子なので、
締めには打ってつけです。
それどころか、強力すぎる…。 もし第一主題まで
締めてしまったら、提示部が先へ進みません。
最後の[譜例 3]になって、二度も登場
する、この “締め” の形。
最初の4小節は、再現部の締めとして。
そして最後の4小節は、コーダ、すなわち全体の締めです。
最後に、後半の2小節を受け継ぐトリは Viola さんでした。
[音源サイト ①] [音源サイト ②]