おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

高校スポーツとアマチュアリズム

2012年12月24日 09時06分46秒 | 日記


いまNHKで南相馬のコーラスグループ「MJCアンサンブル」のドキュメント番組を見たところ。

中高生の女子のコーラスグループで福島南相馬の被災地に住んでいたり別の場所に移住を余儀なくされている子ども達。

このグループが「被災地の歌声」として注目されて全国へ、そして世界へと活動の域を拡げて行く。そしてプロのミュージシャンがバックコーラスに招聘したり、ウイーン少年合唱団とのコラボをやらされたりしていく。

そしてはじめ単純にコーラス♪が好きで集まって歌っていた彼女達の間に不協和音が生じてしまう。

「ちがう、何かが違ってきた」

音楽(合唱)=被害者の思い、被害者の声というきく側、メディアの反応、利用しようとするマスコミ。そして自分達が一番よく知っていた。練習が不足しているのに彼方此方に引っ張り出され、スケジュールに追われている。

確かに最初、彼女達のコーラスに感動もしないし、下手だなあと印象だけだった。

しかし、リーダー、副リーダー、高校に入ってからMJCアンサンブルの変化して行く姿に違和感を覚え去っていった団員がもー一度自分達の本来の姿ーコーラスが好きで皆で歌いたいーに戻ろうと決意。

目標だった福島県のコーラスの大会優勝目指して練習を始める。

そして大会当日の演奏。これを聞いていて自然に涙が流れていた。横で妻も涙を拭いている。このコーラスが一番良かった。

途中「イマジン」のバックコーラスのレコーディング風景があったが子ども達の表情は死んでいるし、コーラスは最低だった。

純粋に歌を歌うこと、そしてその中で決して自分を見失わないこと。これを市場原理で金になる(同情がチケット販売、CD売上高)と大人がチヤホヤし彼方此方に連れ回す。15,6歳の子ども達が自分を見失わないはずがない。しかし、彼女達は自分で動きにブレーキをかけることができた。

すばらしいことだ。このまま自分達らしくじっくりゆっくり音楽を追い求めていって欲しい。

昨日は高校駅伝を見た。男子は愛知豊川高校が初出場初優勝という快挙をなした

ところが今朝の新聞。豊川に批判が集まっているという。7人走った高校生の内6人までもが仙台育英高校の転校生で3・11の被災でいろいろあって?その陸上部員を特待生で豊川に受け入れて走らせたというのだ。テレビではそういおう説明はなかった。

女子の部では仙台育英が出場していたので部は存続しているのだろう。ではなぜ仙台から愛知に?一家転住でもないらしい・・・

駅伝は高校にとって最高の宣伝媒体になる。強ければ長い間高校名が連呼され、これが生徒募集に繋がるのだから、私立も公立も駅伝にかける期待が大きいのは理も当然。

しかし、問題はこの中に教育不在になる危険が潜んでいること。生徒に活躍の程度合わせた給料の支払いはないだろうが、見えないところに特典=優遇措置は限りない。

卓球のAちゃんのことを持ち出すだけでその実態が窺い知れる。3年間で何日教室で勉強しただろうか?

これプロとどう違う?有力生徒を引っ張るのに学費だけでなく遠隔地から受け入れるのに住まいをただで用意したり、小遣いまで云々という噂もチラチラ伝わってくる。この生徒が怪我でもして競技生活がだめになった時のこと本人、親考えているだろうか?

今じっくり考え直す時に来ている