真夜中の3時半に目が覚めてトイレに行くようになっている。何だか嫌な習慣化だと思うのだが仕方ない。目が覚めるのだ。ベッドサイドの曲げ伸ばしのできる照明を妻に遠慮しながら点けて本を読み始める。郷土史を読みながらだが、水上勉の本にのめり込んでいる。




















『仰臥と青空』、この中で正岡子規をずーっと書いている。そして、丁度NHK『坂の上の雲』で正岡子規の最後が出てきたので、今正岡子規にぐいぐい惹きつけられている。これを読み終わったら正岡子規を読もうと思う。
一点を凝視する。子規は結核、脊椎カリエスという病を抱えて、次第に寝たきりの生活になっていった。カリエスできた下肢の空洞からは膿がで続ける。その膿を妹が脱脂綿で拭い取る。悪臭が部屋に満ちていたであろう。そして激痛との闘い。痛み止めのモルヒネを服用していた。麻薬だ。痛み止めには効くのだろうが、副作用というリスクを伴う。それは幻覚だ。
「病牀六尺、これが我世界である」と子規は書く。寝たきりになって歩けなくなって、寝返りも自分で打てなくなって、目に見える範囲を彼は凝視し続ける。先日も書いたように、六尺の病床と寝間で寝ていても、人間にはいろんな今でいうメディアを用いて世界の情報を収集することができるのだ。新聞『日本』があった。水上には新聞大手3誌がありテレビもあった。
神経を集中させていると少しも情報に遅れを取ることはなかったのかもしれない。俳句の弟子達が枕元にいた。夏目漱石との交友もある。世界は決して狭くはなかったのではなかろうか。
一点を凝視すること、それが写生の奥義だという。俳句だけではなく病床で絵筆も取った。写実に徹すること。髪の毛の1本、草の葉の一枚、その葉脈の一筋に至るまで見逃さない。
俳句においてももちろん表現上5・7・5と語数が制限されるので、コトバの選択にすごい神経を使うだろう。一語一語に全力を籠める。平板化を極力嫌う。この鋭さが表現の上で勉強になる。
死の床にあった正岡子規には有名な辞世になる3句がある。病床から見続けたのであろう糸瓜を詠んでいる。
糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をとといのへちまの水も取らざりき
淡々として、糸瓜=世界をそして生と死を見つめ続けた。水上は「禅境」と書いている。私は違う、悟りなど開かなかったはずだ。死への恐怖はモルヒネの幻影となって子規を恐れさせ続けたのではないかー子規の感覚は想像以上に先鋭になっていたはずだ。恐怖に全身が震える毎日ではなかったのか。
その恐れ戦(おのの)きの中に「生」をじっと睨んでいた。




















『仰臥と青空』、この中で正岡子規をずーっと書いている。そして、丁度NHK『坂の上の雲』で正岡子規の最後が出てきたので、今正岡子規にぐいぐい惹きつけられている。これを読み終わったら正岡子規を読もうと思う。
一点を凝視する。子規は結核、脊椎カリエスという病を抱えて、次第に寝たきりの生活になっていった。カリエスできた下肢の空洞からは膿がで続ける。その膿を妹が脱脂綿で拭い取る。悪臭が部屋に満ちていたであろう。そして激痛との闘い。痛み止めのモルヒネを服用していた。麻薬だ。痛み止めには効くのだろうが、副作用というリスクを伴う。それは幻覚だ。
「病牀六尺、これが我世界である」と子規は書く。寝たきりになって歩けなくなって、寝返りも自分で打てなくなって、目に見える範囲を彼は凝視し続ける。先日も書いたように、六尺の病床と寝間で寝ていても、人間にはいろんな今でいうメディアを用いて世界の情報を収集することができるのだ。新聞『日本』があった。水上には新聞大手3誌がありテレビもあった。
神経を集中させていると少しも情報に遅れを取ることはなかったのかもしれない。俳句の弟子達が枕元にいた。夏目漱石との交友もある。世界は決して狭くはなかったのではなかろうか。
一点を凝視すること、それが写生の奥義だという。俳句だけではなく病床で絵筆も取った。写実に徹すること。髪の毛の1本、草の葉の一枚、その葉脈の一筋に至るまで見逃さない。
俳句においてももちろん表現上5・7・5と語数が制限されるので、コトバの選択にすごい神経を使うだろう。一語一語に全力を籠める。平板化を極力嫌う。この鋭さが表現の上で勉強になる。
死の床にあった正岡子規には有名な辞世になる3句がある。病床から見続けたのであろう糸瓜を詠んでいる。
糸瓜咲いて痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間にあはず
をとといのへちまの水も取らざりき
淡々として、糸瓜=世界をそして生と死を見つめ続けた。水上は「禅境」と書いている。私は違う、悟りなど開かなかったはずだ。死への恐怖はモルヒネの幻影となって子規を恐れさせ続けたのではないかー子規の感覚は想像以上に先鋭になっていたはずだ。恐怖に全身が震える毎日ではなかったのか。
その恐れ戦(おのの)きの中に「生」をじっと睨んでいた。