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おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

南方系の私には寒さが応える

2010年12月06日 07時09分11秒 | 日記
寒いっ

室温が7度、外は畑も真っ白、外付けの水道の蛇口を捻ろうとしてもビクともしない。全てが凍り付いているみたいだ。

人間は200万年前、地球上に誕生して以来、この寒さと闘ってきた。

人間の強(したた)かさ子祖が「万物の霊長」という称号(といっても他の生物が客観的に人間=ホモ・サピエンスを見て評価した訳ではなく、「自称」に過ぎないのだが・・・

私は自分の顔を長く見てきたのだが、その風貌というのはまさに南方系であって、1万年くらい前この列島が形成された頃、赤道付近から北上する暖流に乗ってやしの木か何か知らぬが南洋の一木を刳り貫いて作った粗末なカヤックに乗って、海舟や龍馬のように好奇心旺盛な男達が冒険旅行に出かけ、発見した新しい未知の島々に居ついた末裔のような気がする。色黒、目がぎょろっと大きくて全体『濃い』顔をしている。相撲取りの小錦、曙、武蔵丸など思わず「よーっ兄弟!」と叫んでしまう。

無敵(負けちゃったけどー)横綱白鵬を見ているとモンゴル人であり日本人の一つのルーツ=大陸渡来を思わせる。やはり朝鮮半島は近いのだ。九州から五島列島、壱岐、対馬と行けば半島はすぐ目の前。
瓜実顔の一重目蓋、尻には蒙古斑、日本人を見ると大体大陸系が中心で、さらに北海道から北方四島、カムチャッカ、礼文島からサハリンというともうロシアだ。この北方系ルートも確かに存在すると思う。

私の母親の出は、新潟県西蒲原郡だ。そういえば母方の祖母は色が白く、きっと北方系。しかし、父方は熊本県玉名市、親父も明治の生まれであったがその割には体がでかかったし、顔の造作も彫深くいい男だったのだがやっぱり南方系かー。

だから5人の子供は南方,北方よりどりだ。

南の島から北上してきた祖先は食べるものには窮しなかったろうけど(温帯気候で、植生も豊かで食料を得るのにそう苦労はなかったと思う)、冬の寒さ葉きつかったろう。

人間のルーツを考えるのは面白いし楽しい。島尾敏雄が『ヤポネシア』論を書いていたが、琉球弧を環太平洋に敷衍すると日本全体がすっぽり入る。たしかに沖縄とアイヌの相関性を考えると海上交通(対馬・日本海流での交流)の重要性があり、今では飛行機をいう手段ができているがほんの百年前には飛行機で旅をするなんて考えられなかったことで、海を渡る手段は船だった。

そして船を遠くに導くのが海流で島国日本には暖流である黒潮=日本海流と対馬海流が東側と大陸側を遡上しており、北からはリ寒流のリマンと親潮=千島海流が同じく太平洋側、大陸側を流れ下っている。この海流に乗って民族が移動してきたのだ、自由に

昨夜、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を見たが、やっぱりロシア人は辛抱強い民族ではあるが、それでももっと暖かい土地が欲しいと南下策を取って来たのだし、今の大統領が北方四島に突然訪問したと騒がれたが、日本人からすると寒い所だが、彼らにとっては温暖な島と認識しているのだろう。この島が欲しいのだ。南下への足がかかりとしてー

シベリア抑留の話も辺見庸の本で読んだが、解放の目処のない抑留とシベリアの寒さは想像を絶するが、収容所を警備するソ連の兵隊もいたのだから、ロシア人というのは寒気には強いのだ、もともと・・・

私の親父も戦争で満州に行ってたけれど、寒かったろう。子供の時までは親父が来ていた軍人用の内側毛を貼り付けたコートと耳覆いのついた帽子が残っていた。

私はどちらかというとやはり寒さに弱い。
環太平洋を考えると、アメリカのネイティブ=インディアンとエスキモー、中南米の人々、そしてハワイ、タヒチ、東南アジア、台湾、琉球、日本と人種民族的に見た時、みんなルーツは一緒じゃないかと思う(蒙古班があるらしい)。
まさに環太平洋文化圏だ。
母方の血がもちっと強ければ寒さのみへっちゃらなんだけどな・・・

思い出した。以前書いた文章のプロローグに使ったアイヌ語がある。

「イッランカラプティ」
あなたのそっと触れさせてください(いやらしい意味ではなくて、あなたの存在にそっと近づいてもいいですか?)という挨拶の言葉。
こんな感性はもう日本には一かけらさえ残っていないかに思えるのだが。