おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

歳は取りたくないなあ・・・

2009年12月08日 14時26分08秒 | 日記
私は読書人だという自負がある。先月は9冊読んだ。一時よりも量は減ったものの、やはり生活の一部になっている。教師として高校生に読書を勧める際に、こんな話をしてきた。
「小説家はある日、突然文章が書けるようになるものではなくて、長い間に読書で蓄えられてきた言葉、多種多様な人の生き様、事件、人それぞれの物事に対する捉え方、受ける感情、喜怒哀楽の表出の仕方、いろんな作家のプロット、筋立て・・・数多く読めば読むほど、意識深く沈潜し無意識世界に沈殿したものが長い時間を掛けて醸成され,そして醗酵してくる。蓄えられた無数の言葉の群れが深層世界でぶつかり合い研ぎ澄まされたものだけが浮かび上がってくる。・・・」そんなことを時々喋ったりしたし、そう思い込んでもいた。ところがどうもそうではないような気がしてきたのだ。歳を取れば必ず肉体は衰えていく。これは神ではない人間の宿命である。肉体の衰えだけで精神は老いないのかというと、どうも老いていくように最近感じている。
老いても衰えを感じさせない凄い人もいるにはいる。概して政治家はその政治的な発言を聞いていると頭脳が少しも萎縮していないように感じるのだ。最近、TVのインタビューに応えてしゃべっていた吉野文六さん、元外務省アメリカ局長。日米の密約についての証言をしたのだが、その時の様子を見ると実に矍鑠としているし、記憶がしっかりしているだけでなく言葉にブレがない。91歳の人間とはとても思えない。キャリア官僚の秀才だろう。頭のいい人は特別なのか?
80の大台にのれば呆ける人が出てくるのに。そして私の場合、50も半ば過ぎて、どうも記憶力が弱体化し始めた。
昨日、悲しい出来事があった。久しぶりに古本屋ではない本屋に行った。棚から引き出すのではなくその下の台に置いている店のお薦めの作品(と思える)を手にとって二念なく買った。しかも上・下の文庫本。帰って
本を手の取って読み始めたのだが、すぐ疑念が沸いた。「あれ!これもしかしたら既に読んでいるのではないかー」慌てて書棚を探したがここ(南阿蘇)にはない、もしかしたら市内の家にあるのかも・・・どうもかすかに記憶がある。年を取ると無意識の下層に沈殿している「記憶」が下の方から腐敗して消えていくのではないか。本当に読みたいものを選んで、本物を読んでいけばいいのではないか。雑読、興味の範囲外の書物は読んでも仕方ないのではないかと思ったりしている。
目も衰えてきたので、月5ペースでゆっくり行こうーっと。