marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(578回)<No.10>親愛なるJへ(その3)香港経由、深圳、東莞出張の思いで

2019-08-05 01:21:54 | 日記

親愛なるJへ 今回は続きがあります。

 深圳には、進出企業がたくさんあって、無論海外の工場例えば僕が見たのはドイツの工場も・・・。何十年も前の話。こういう米中貿易関係の悪化などで今はどうなっているのだろうかなぁ。とにかく、すべては一時間近くもタクシーあるときは顧客の企業の車に載って、町の中をあるいは、高速道路らしきところを走り回ったのでどこをどのように回ったか、数度行ったけれど場所に記憶がない。当時の手帖など引っ張り出してくればわかるだろうけれど、面倒。中国国内は、初めて入るとどこでも、建築中の土埃のにおいがする。(日本に来ると醤油のにおいがするという話を聞いたことがあるけれど)

◆簡単に差し支えない範囲で訪問先を書くと、日本国内の某メーカーが東莞に工場を建て、その時の下請けがそれについて行ったという、その工場の品質と現場確認。日本ではそれほど知られていないが、アメリカでは安くて良いものを提供していて、その地では有名な日本のF◆N◇I電気です。そのF社について行った大阪難波のした下受け企業が、僕らがFに収めていた部品を取り扱い、現地でアッセンブリーしているので、その品質を見てほしいと元締めのF社に頼まれたもの。

◆扱う部品や、出来上がりの製品などは無論、世界中で規格が決まっていれば、組み立てあるいは製品は、すべて世界中を駆け巡るわけで、東莞に工場を借りてまでやり始めたそのついて行った下請けの仕事は無論、現地に行けば,その親会社の仕事ばかりでは食っていけない。冷たいもので親会社の一緒に大陸に渡り我々の仕事を続けて協力してやってくれ、というのはいいけれど、その親の仕事の供給がいつもあふれるばかりにあるとは限らないから、その下町の社長は日本と中国を行き来し、営業兼ねていて他社からもらった仕事を探し出して従業員にやらせていたようだった。ハーネスと呼ばれる複雑な配線組み付け作業。いずれ、信頼のあるやり手の数字に強そうな豊臣秀吉の挿絵のような顔をした色黒い下町のおっチャンだった。常に現地の総経理に細かな数字の問い合わせをしていた。現地に行かされた日本の小柄な総経理になんども携帯で細かな指示をしていた。当時は、もうけは分からないが仕事は腐るほどあったようだった。

◆仕事の事を書き綴ってもさっぱり面白くないだろうね。本来、ものつくりというのは、そのノウハウがあって、これはこれで面白いのですが、むしろそのことを使用する結局のところの人間の質に関わる、その周辺の人々のありようが僕にとっては面白いのですよ。国の違いもあるし、どのように人を使っているのかも興味があったんです。

◆その工場事務所は、古びた朽ちたコンクリート作りの二階建てだったような気がする。その向かいに四階建てのこれまたコンクリート作りの工場、といっても昔、何かに使われていたのであろうビルの一室。そこが、僕にあてがわれた検査室だった。ガラス張りで、 隣室の広い検査室に机が並べられ多くの検査員が部品を検査している。検査員が検査しピッキングしたものを各列の班長が僕らに持ってくる。これはOKかNGか というその判定が僕に任せられた仕事だった。僕らが日本でF社に供給したものが、その下請けにアッセイを依頼し、それがF社が東莞でおこなうからと下請けも中国についてきて、そこの末端工場での従業員への指導を、つまり部品の見方を指導しに来た訳なのである。

◆彼女らは顕微鏡を使わなくても細かな物が見える。薄暗いような雰囲気のなかに20脚以上もの検査机に並んでいる。薄暗いのは机の上にはそれぞれライトがあるがつけるとかえって目に痛く見えないのだという。ある仕切りによってグループに分かれている。おそらくロットごとなのだろうけれど、それぞれのグループに班長らしき人がいて、腕章の色が赤色なので分かる。更にその統括者とおぼしき人は紫色の腕章をつけていた。多くの検査員は何もつけていないが数人、腕に青色のリボンをつけた子が見える。新人らしい。

◆赤の腕章の班長は、判定に困った物があるとはじかれた部品の判定を尋ねに僕にそれをまとめて持ってくる。僕は机上のライトと顕微鏡の付属ライトもつけて覗きこむと確かにこれかと判定に迷ったところをようやく見つける。これを裸眼で見つけてしまうのか・・・。確かに検査基準はあるし、当然僕らもそれを提供しているが、新たに彼女らの裸眼で見えるという基準を作り直すというのが僕の訪問の目的だった。・・・続く