marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(579回)<No.11>親愛なるJへ(その4)香港経由、深圳、東莞出張の思いで

2019-08-06 06:00:32 | 日記

親愛なるJへ 

 あのころ、確かにグローバル展開の市場原理を感じていたころだったな。しかし、官能検査に関わる部分は君はどう思うか? 視覚による検査でも基準を作ろうが、国が(正確にはそのところに住んでいる人が)異なれば新たなる検査基準を作り直さなければいけないということになる。つまり、僕らが一般の裸眼での判定も検査員の彼女らには倍率を変えて作り直さなければいけないといこと。しかも、現物の比較サンプルを作って・・・ということでした。僕ら人間には、物という対象物を見るにつれても曖昧な部分があって、その許容範囲をお互い了解しておくということになる。何事においても。

◆”世界は誰かの仕事でなりたっている” というキャッチコピーがあったなぁ。確かに、僕らが関わるの廻りのどんな物にも人の手が加わっている。(だから、人も自然の中の生き物にすぎないということを学ぶことは大切なのだと僕は思っている。AI(人工知能)などと言われるものも結局、基本、僕らは土(地面)の上に立ってそれからの循環サイクルの中に行かされていることを、そして人は生まれて生きて結局死んでいくのだ、その行く末が分からずして、どうして僕らがこの地上に生まれてきた意味があるだろうと・・・僕は、何処にいってもそんなことを考えてきた。人は自分が関心を持つ世界としか出会えない。しかし、”世界のベストセラー”には、人は神の似姿に想像されたとあり、世界は天地を創造し、果てはそれが滅びると書かれていて、その兆候も見られる昨今において、人工的な五感の拡張であるもの(科学技術)だけに依存して、明るい未来を信じられるのかという漠然とした不安もあるのである。例えば、インフラ、電気がすべて遮断された時、今の社会はまったく機能しなくなるだろう。

◆さて元に戻り、事務所と工場の間の路地の突き当たり(といっても、昼でも雑踏、道路は舗装されているが、ガタガタ。路肩は工事が途中で終わったような土肌がむき出しのところもあり、兎に角、あちらこちら埃っぽい)に5階のアパートのような建物が見える。上に大きな看板に文字が書かれてあった(中国には時折、目に付くところに字が書かれて何かの<地方当局からのだろう>スローガンが書かれている)。聞くと、思想教育で入れられるところなのだという。あまり公にも詳しく聞くことがはばかれたが、確かそんなことを日本人総経理は話されていた。

◆僕はこのころ、SonyのUというマッチ箱のようなデジタルカメラを持っていたのだが、pc替えたときにデータが飛んでしまった。それに、そういう思想教育のような僕らにとっては政治権力があからさまに街の中に見られるところでカメラを持ち歩いて撮り歩くなどはばかれる。しかし、百聞は一見にしかずということであるけれど、言葉では表現できない。百年前の日本の写真など時折、youtubeで見るけれど、道路が画面修正したかのようにきれいなのだ。それにつれて、というか、その後、日本に帰り道路を歩くとなんと日本はきれいなのだろうと改めて驚いてしまう。それはこの国の民族気質。この日本の国は、特別な気質を持っていると思ってしまう・・・無論、言葉で簡単に総括できるものではないけれどね。

◆それが僕には、この国の古代に「ハレ」とか「ケガレ」などの言葉があったことを思い出す。世界を創造し、地球上に人を活かしめ、「あなたを祝福する者を私は祝福する」とアブラハムに言われた神が、その選民族の試練をとおして世界に離散させて、その部族の集団が日本に渡来し、言葉以前の歴史の土台の形成に大きく寄与していたと僕は思わされて仕方がないのです。

◆豆腐の漬物とい物を初めて食べた、それからおっちゃん社長と事務女性との話と北朝鮮からの従業員を次回、少しお話ししましょう。・・・続く