marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(590回) 僕の生まれた小さな村の大きな物語(はじまり)

2019-08-31 09:59:30 | 小説

親愛なるM君へ

 お元気でお過ごしでしょうか。九州や中国地方では、大変な豪雨の被害ですね。心が痛みます。そちらはいかがでしょうか。

   こちらは守られて雨は降りましたが治まり今朝は陽が照って穏やかです。

◆先日、田舎に行くのにかえって早くいけるかなと思い、毎年、山菜を取りにいく山側の方を迂回する道をとりました。昔と違い、ほとんどの農道は舗装がされましたので渋滞に巻き込まれず快適に車で飛ばしました。その途中の道でまた、とても気になる名前の村を通りました。「八幡(yahata)」という村です。なぜ、こんな田舎に。僕のライフワークからすれば、この名前があるとすればこの名前の神社があるはずで、と思っているとすぐに、やはりありました。写真を掲載します。(この写真は2度目に通った時のもの、一度目はお盆の時、田舎のお寺に行く日でしたがカメラを持っていきませんでしたので) 

◆僕のライフワーク。最近、僕が考えてきたことと同じではないかという田中英道(東北大学名誉教授)の「日本国史学会」からのyoutubeが面白いと思いました。古代日本に渡来したユダヤ人秦氏がこの国の精神性に非常に大きな役割を果たしていたのだという痕跡は日本のいたるところにあるのではないかということです。

◆M君に昔、「秦氏の謎」という文庫本を差し上げたのを思えておられるでしょうか。機織り(ハタオリ)これは渡来人秦氏が持ってきた技術(織物が起源)。その他多くの技術をこの日本の創世時代に持ち込んだ一団だったということ。日本中に散らばって渡来文化を日本の礎を作った集団だったということ。

◆これは、過去にカスピ海周辺に離散していた失われた旧約聖書の時代のイスラエル10部族の一団が、長い年月を経て同化をしつつも、変えない神の概念を持って、日本の国まで渡ってきていたということだろうということです。代々木八幡や近江八幡など広い地域名やその他 実に多くの「八幡」神社が日本の至る所にあるのはなぜなのだろう。Kさんのおうちや僕の田舎にもあるこの「八幡神社」を辞典で調べると渡来人(秦氏、鹿島など・・・)が伝えたとある。(確かに明治時代に国威掲揚の為に整備されたのも多いがその基はその地にあった訳だから)。

◆まさにヤーハタなのです。ヘブル語で神は(ヤー)、秦(ハタ)なのですね。秋田の魚のハタハタを取る技術を伝えたのも秦氏だろうと。だからハタハタは漢字で魚へんに神と書く(ハタハタ=鰰)。 僕はなぜハタハタという魚がこういう漢字なのかずっと疑問だったのですね。そして、こんな田舎にも「八幡」という村があるという理由がわかってきたのです。そして村の人はなぜか優秀。こんな田舎にと言ったら怒られるが、義務教育実験校なども創設しておられる。小学生、中学生の教育学習習得レベルで秋田県は今年も数学(算数)、国語で全国学力第一位でしたなんていうのは、こういうところから来ているのかななどと・・・?

◆ 日本の文字で残された過去の歴史を見ると700年代ころからなのですね記録があるのは(「古事記」も712年)、しかし、あの時代、例えば552年欽明天皇13年に仏教が伝来したときに蘇我氏が「仏教」を取り入れようとしたときに、物部氏は「あだし神」を取り入れようとば国は滅びると争いが起こったのです。500年代(つまりそれ以前)にすでに天皇を支える考えなり、宗教があった訳だ。それで無ければ天皇などの記録がないはずなのだから、ですから文字には残らないが、その基盤をこの国全体に作り上げたのが、過去に大陸から渡来した秦氏一族なのだろうとも思えるのです。文字に残らなければそれは歴史ではないということは、全くなくて日本中の至るところにその痕跡、今も神社がありお祭りがおこなわれている。

◆その神社は、旧約時代、あの民が荒野で拝んでいた幕屋の作りに似ていると言われるのです。それから神社の神主さんは一応世襲制ですしね。これなどは旧約時代の礼拝をつかさどる「レビ」と呼ばれる人々がそうでしたし、拝殿や奥の院(旧約では至聖所)という作り方も似ている。神社のお神輿は、モーゼがエジプト脱出時に運ばせたアーク。ほかのところはどうかはわかりませんが、僕らの地方では、お神輿が担がれて海や川に入ったり、滝に打たれる行事もあるのですね。これなどは、神がモーセを用い紅海を渡った出来事のいわれを模してきたものだろうと思わされるのです。しっかり、若い方々が継承していて現在も行われているのは敬服します。

 ともかく、この日本の地の神社がとおくあの旧約聖書の民に繋がっていて、それが日本の精神性の土台となってきていたと学問的にはっきり示されたことはとても嬉しく思っているのです。 ・・・これは僕が生まれた村の始まりです。  続く