marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(581回)<No.13>親愛なるJへ(No.6)さようなら、もうこの地を踏む事はないだろう

2019-08-08 06:24:12 | 日記

親愛なるJ  香港を後にする前に

◆写真は香港空港の待合ロビーの様子。その他の写真データは飛んでしまっていた。僕が記憶にとどめているのは、改札口にちかづくと広いロビーの中央に畳一畳ほどのガラス張りの展示場所があって、それに大きな木造船の模型が飾られていたこと。それは「鄭和」の船の模型だった。鄭和(ていわ)の率いる大船団がインド、アフリカまでを航海していたことを僕は知っていた。しかも、それも西欧の大航海時代の数十年早かったので、当然、どうだとばかり、古い時代を持ち出して国威を堅持したいのだろう。しかし、未開の海洋ルートを開拓したわけではない。文字には残らない海上での行き来は古代から頻繁に行われていたのだから。物の運搬規模とその広域範囲が注目ということ。中国に居ながらも鄭和はイスラム教徒だったと言われる。きっと生まれ故郷のメッカをめざしたのではと想像してみる。ソマリアあたりまで足を伸ばした記録があるらしい。詳しくは世界史に載る人だからネット検索で詳しく見れる。 

◆香港といっても空港内では海外向けのツーリストパンフはダントツ澳門(マカオ)のが多い。香港からフェリーでいける島にあったかと思う。カジノがあるからだろうなこれは。僕は沢木耕太郎の「深夜特急」という文庫本でしかしらない。マカオグランプリという車のレース場もあったような気がするが。香港ドル(これは無論のこと)やアメリカドル(これは大陸どこでも重宝される)が使えた。紙幣も結構偽造防止が掛けられ立派。昨今、棚を整理していたらお金が出てきたのでその写真を掲載する。(いつもながらクリック拡大)

◆中継ぎ商社の方の案内で深圳(日本からの進出企業がここは多い)の日本人料理で晩飯を食べる。商社行きつけだったのだろう、その日本人店長の身内話。日本で馬券ギャンブル狂いとなって、家が破産、家庭崩壊となった彼は、兄から金を出してもらって、中国に逃げ出してここに店を開いたという。店長以外は向こうの使用人。久しぶりの同国人で気が緩んだのか饒舌。シャバ代もそれほどは高くないだろう人通りの少ない、のれんに赤提灯という感じの店だった。

◇ご年配にもなっているその店長は商社の人におもむろに墓石の写真の入ったファイルを見せてこう言いだした。それで、僕は当時、日本中に石屋、殆どは墓石の販売なのだが、それが僕の町でも目に付くようになったのはこんな理由かと思ったのだったのだが。日本からの貨物船が日本に帰るとき空のままでは損である。商売になる切り出した石材、これは殆どただに近いからそれを運んで日本に帰れば儲けるだろうからその販売ルートを扱わないかと。そんな話をし始めて墓石の写真をみせながら、値段の比較をしきりに話し出したのであった。

◆いずれ仕事上で出会った人々もそうだが、トーモロコシタワーといい、ホテルの対応といい、ひとりひとりは穏やかなのだが、企業や組織となればもうけ優先で、地面のゴミさえ見えなくなるか拾わないというような、生き馬の目を抜く顔を見せる、そういう気質を持つ集団になる怖さを僕は香港で特に感じた。それにしても気になるあの乱立したトーモロコシタワーのマンション。インフラ管理が万全なのだろうか。生活水の管理、汚水の管理。何処でも、何についてもそうなのだが、維持管理と有効活用し続けるなどはどうなのだろうと。不動産業界は入居したい人がいる限り建てたはいいが(日本でもそうだが)お金をもらった後はまったく縁を切り別会社管理会社に渡す。当然、闇の業者が沢山暗躍してるんだろうなぁ。何しろ、魔屈城言われた九龍があったところだからなぁと。

◇学んだことは今後も書くことがあるでしょうが、中国出張の話はこの辺でお開きとしましょう。ここまで付き合ってくれてありがとう。いつぞや又、今度はフィリピンとヴェトナム出張の話を書きたいと思います。最後に、香港の人混みの中ではスリに気をつけなさい。遊びでおもちゃを買うならともかく小さな小売店ではすべてイミテーション。高級ホテルでも小さな高価なジュエリーなど購入の際は、目の前でそのものを包装してそのまま手にするようにした方がいい。すり替えられた安物を日本に持って帰るかもしれない。。それでは、・・・