marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(101回目)

2016-08-18 18:44:07 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 
イエスの12弟子の内、福音書を書き少なくとも確実に最後の晩餐にいた弟子はヨハネさんということになるね。取税人のマタイさんはマタイ伝を書いたと言われるがはっきりしないしな。その中に当人と確実に分かる言葉を入れ込んでいないからだ。しかし、ヨハネさんはそうではないぞ。自分のことをヨハネ伝の中で、もうひとりの弟子(20章、他に)、イエスにもっとも愛された弟子などと書いているからね。最後の晩餐にもダビンチの絵によれば、というかイエスの胸に寄りかかってなどと書かれているからイエスの隣にいて食事をしていたのは確実なのだ。その場の証人であるにもかかわらず、なぜ、その時のユダの言動を詳しく書いてないのだろうね。(当時の食事は絵のようなテーブル、イスではなくて横に寝そべっていただくのが普通だったらしいよ)で、その時の会話・・・
◆他の福音書マタイ伝などは、こうだ(マタイ26:25)イエスを裏切ったユダが答えていった「先生、まさかわたしではないでしょう」。イエスは言われた「いや、あなただ」。・・・ あれか、これかと思いあぐねている内にどんと先を読まれて決断してしまった感じだな、ユダはこの会話から。”サタン”と言う言葉はこの近辺には書かれてない。マルコ伝は、”裏切る人”と書いているだけで”ユダ”の名前がない。ルカ伝も”裏切る者がわたしと一緒に食卓に手を置いている”と書かれていてユダの名前がない。ただ、(ルカ22:3)”そのとき、12弟子のひとりで、イスカリオテとよばれていたユダに、サタンが入った”とは記されている。で、ヨハネ伝は先の回に書いたようにイエスに「なすべきことを、すぐなせ」とユダは言われて行動を起こしたとある。
◆天地創造来から、堕落した天使である悪魔は被創造物の中で神の創造された最高傑作である人間への死の介入をせしめて来たわけだ、病や困窮、殺人などで。2016年の今もそうである。(創世記第3章15節の意味を考えよ。)物語の中では、今やサタンは、12弟子の中まで入りこみ、他の福音書にペテロさんもイエスに「サタンよ引き下がれ」と一喝されているところがあるし、とうとうユダに入りこんで最後のあがきの挑戦を神にけしかけた訳だ。イエスはペテロにこういう場面がある。(ルカ22:31)「シモン(ペテロのこと)、シモン、見よ、サタンはあなた方を麦のようにふるいにかけることを願って許された。」この言葉は、この時、霊の世界では非常事態、サタンから神への挑戦状が差し出されていた訳だ。その世界が見えない我々はこの言葉を軽視してはいけない。イエスがユダに語った言葉は、ユダに入り込んだサタンに語った言葉ということになるのだ。
◆最長老のヨハンさんは、先に書かれていた福音書の断片も知っていたと思うよ。しかし、自分が最もイエスに愛されていたし、現場報告出来る証人者(イエスの復活後の空の墓も確認した)でもあったから独自に福音書を書いてしかるべしとの意向が、ヨハネとその群れに当然出てきて1世紀近くあとに書かれたものだと考えられるのね。(だから他の三つの共観福音書と毛色が少しちがう。)”善をもて悪に勝ちなさい”。ヨハネさんはきっとイエスが送られた真理の霊に満たされ、その群れの一致をひたすらイエスの最後の告別説教の中に求め、群れの一致と周囲のユダヤ人達の恐怖へも共なるイエスの言に励まされてその信仰を将来につなげようと心から願ってその思いで書いていったのだと思わされるのだ。闇に落ちたと言われるユダを思う以上にその時の霊の戦いの方ををヨハネは強く思い描いて文字には表されなかったのではないかと僕には思われてしかたがないのだ。・・・Ω