marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(80回目)

2016-08-04 22:02:30 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 
ヨハネ伝第12章に入った。1節に過ぎ越の祭の6日前に・・・とある。過ぎ越の祭はとてもイスラエル、ユダヤ人には大切な祭。旧約聖書の出エジプト記に書かれているが、モーセに引き連れられて奴隷状態のエジプトから神の示すカナンの地に脱出する話。その出来事のこれも神のわざになるのだろう、ユダヤ人の家の鴨居に塗られた血をみて、神の使いのその災い(つまり死)が過ぎ越して難を逃れ、その人達がエジプト脱出を行うという壮大な物語である。その神の災いが過ぎ越した記念をもって祭りとして行われるもの(当然、今も行われている)。無傷の羊の血を神に塗り、災いの過ぎ越すのを待ち、その肉を食べ、種を入れないパンに苦菜を添えて食べ、脱出の準備をする(出エジプト記12:8)。
◇ここに、イエスが十字架にかかる前に、これはひどい話だとユダヤ人、また何人かの離れた弟子達に言わしめ、それが又、今の聖餐式(セイサンシキ)、十字架上でイエスの血を流し、記念としてのパンとしての肉を食べ、血を流すとしてのブドウ液を飲む、そのことの意味合いにつながっていくわけなのである。だからイエスのパッション(受難)の意味を信じる者は、天の永遠のみ国に脱出をおこなうのであるという意味合いが重なる訳だ。だから、2016年、今もイエスのこの事態を信ずるキリスト者は、いつもキリストの死を背負っている(メメント・モリ)ことで天への脱出の備えをしているということになるのである。それがいかなる苦難も喜びとなって理由だ、イエスが「わたしに従ってきなさい。わたしはあなたを見捨てない」といつも言われているからとなる。今を生きているイエスがだ。そして、その理解をさせてくれるのがイエスが送ると言われた助け主である「聖霊」なのだという訳だ。
◇天地創造から現代まで、聖書を通して天国に至るまでの壮大なドラマを思い浮かべることはゆっくり自分の時間を過ごす時に、ただ一つの出来事が実に多くの有形、無形の影響を与え今に残してきているかに思いを馳せるとき、ヨハネが最後に残した言葉もそうであろうなぁと納得してしまうことしばしばなのである(第21章25節)。
◆さて、このヨハネ伝の第12章は第17章までイエスの命の言の深い意味合いが語られていく。第13章にはユダの離脱があるがこれも不思議なイエスの言葉を残している(第13章31-32節)ので考えてみたい。
◇それは今から言えばではあるが、言い方を変えれば、ユダは実に重要な?役割を果たしたと言えるのかもしれない・・・Ω

世界のベストセラーを読む(79回目)

2016-08-04 02:51:32 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
☆注意したいのは、西欧哲学にあるベースとなっているものに必ずといいほどキリスト教があるが、彼らが著作の中で「キリスト教」と著しているものは、その時代に反映され一般流布された聖書の教えの大衆に固定化された概念に対してそう言っているのだということだね。ですから、先のキェルケゴールが著作の中で、あるいは、ニーチェがその著作の中でその他沢山の方々、その時代、時代に知られていた概念についての言葉による格闘や戦いなのであって、イエスそのものの言(ことば)についてではないということなのです。無論、来年2017年宗教改革500年、カトリックの方はどのような反応をされるか分かりませんが、当時のM.Lutherさんも、著名な「キリスト者の自由」においてこう述べておられるのは、その時代においてなのです。当時は今で言うカトリックだけの時代。
◇第5 「キリストの来臨したもうたのは神の言を説教するという使命のために他ならないし、またすべての使徒たち、司教、司祭と霊的階級(聖職者)の全体とが、ただ神の言のために召されまた立てられているのであるが、残念ながら今や事態は違ってしまった。」
◆僕が自分の言葉で読む・・・と語るのは、当然、2016年の今の自分の言葉で読むということ。ある人はそれが基督のからだであるという人がいるかもしれないし、多くはそうだろうが、組織体やその維持のための○○信条とかが、個人のイエスの言葉に聴くということに先行するものでは決してない、別にそれは必須条件ではありませんよと言うことなのである。しかし、それは不要というものでは決して無く、世に於ける(世界に於ける)キリストの体を形成するための概念、目には見えないが有機的つながり、群れを統括し組織だって個々がイメージし易いような総括概念を作ることはとてもイエスの言(ことば)の道を備えるにはあってしかるべきものなのではある。それは、また不完全な人間の言葉での固定化、悪弊ともなるものであるが(歴史上ときには、カトリックが行った処刑にまでなってね)。その不完全な人間の悪弊を常に壊し続けないと新しい水は流れないということだ。カルヴァンさんは、プロテスタントにおいてルターさんのあと、この組織化のために絶大な働きをなし「キリスト教綱要」を著す。・・・予定説まで往ってしまいますが・・・この考えは不人気です。
◇「わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らもわたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう」。(ヨハネ伝10章16節)このイエスの言葉は、すでに異邦人への伝道、世界への宣教が述べられている箇所であります。・・・Ω