
4月19日は伊能忠敬が測量の第一歩を記した「地図の日」だそうで、19日夜は久しぶりに手持ちの善隣出版社(ゼンリンの前身)創業期の1950年代発行市街図を拡げ、観察して見たり。
大分県別府市で創業し1950年代前半に小倉市(現・北九州市小倉北区)に本社を移した善隣出版社。別府市の観光案内を発行し、その中の地図ページの需要と可能性に気づいてのちの「ゼンリン住宅地図」の発行に繋がる。これらの市街図は、いわば新しい住宅地図を調査製作する前に必要な、その都市の基本地図を商品として発行していたもの。すべての都市版を発行したわけではなく、市街図の需要がある町だけ発行したようだ。
善隣出版社が大分県から福岡県、山口県へと地図製作のエリアを拡大したのが1950年代。私がこれらゼンリン初期の市街図を意識的に探している理由は、ゼンリン本社やゼンリンミュージアムにも収蔵されていないものが大半だからだ。ゼンリングループ出身の私は、2003年に開館した「ゼンリン地図の資料館」の企画展を2008年まで担当していた。その過程で収蔵品にゼンリン初期の良質な資料がほとんど遺っていないことを知った。住宅地図も、次の改訂版を製作するための赤字訂正したものが多い。
目録があるわけではないので、この20年余は意識的に見つけたら入手を繰り返し、企画展を手伝っている間は入手したものをゼンリン地図の資料館の収蔵品にしてもらっていた。今回掲載したものは所有品の一部だが、これらは2009年以降に入手したものだ。
ゼンリンにこれら初期の市街図などが遺っていない理由は、当時のゼンリンの営業戦略が関係している。予約注文や広告を取って新規地図を製作し、改訂版を出す際はお客様に案内し、事前に予約注文を取った。新刊を届ける代わりに旧刊を回収して、古い地図を断裁処分したのだ。だから古いものは残らない体制になっていた。
市街図の裏面や表紙裏には広告が掲載されている。地図を販売してくれる書店やデパート、観光案内所などの広告が多いが、その土地ならではの地場商店や企業の広告があって、今ではそれも貴重な資料である。久留米市のデパート「旭屋」は、のちの久留米井筒屋である。小倉・魚町にあった老舗書店「ナガリ書店」など、名前を見つけるだけで懐かしい広告が多い。
今回、大牟田市の1950年代後半の市街図をチェックする必要性が出てきて、手持ちの資料を久しぶりに拡げた。4月18日にFSBめんたいワイド「ひと駅ノスタルジー」新栄町編のロケに同行したが、新栄町駅が開業したのは1970(昭和45)年4月、前回の大阪万博開催中のことなので、それ以前の該当エリアの状況や旧町名の確認に活用したわけだ。
確認はすぐに終わり、夜更けまでそれぞれの市街図を眺めてしまった。