
6月8日は福岡県ゆかりの鳥瞰図絵師・前田虹映の80回目の命日です。師匠・吉田初三郎の右腕として活躍後、1936(昭和11)年に独立してから西日本を中心に多彩な作品を描き残し、1945(昭和20)年6月8日に故郷山口県柳井市にて49歳で肺を患い逝去しました。
虹映は、太平洋戦争が始まると観光向けの鳥瞰図を描くことができなくなります。彼の才能は戦時下において「戦意高揚」に利用され、晩年の作品はいずれも福岡県内の「戦争」絡みの絵葉書シリーズになっています。1枚目・2枚目の作品は、1943(昭和18)年に福岡市・銃後奉公会からの依頼により制作された「郷土絵葉書」5枚セットです。筥崎宮の楼門「敵国降伏」篇額が表紙で、大濠公園や西公園に加えて日露戦争中に完成した東公園の亀山上皇銅像・日蓮上人銅像などが含まれます。
1943(昭和18)年4月に建立された福岡県護国神社の完成を前に、奉賛会の依頼で「福岡県護国神社」絵葉書セットも制作。境内鳥瞰図などを描いています。同神社は1945(昭和20)年6月19日の福岡大空襲により、大鳥居を除いて社殿などを消失。社殿に掲出されていたという絹本肉筆画も焼けました。
そして1943(昭和18)年には「敵国降伏」篇額がある筥崎宮の依頼により「筥崎宮絵葉書」セットが制作されて、これが生前の虹映による最後の作品群だと思われます。過去、何度か筥崎宮の宝物にこの作品群の絹本肉筆画が遺されていないかを社務所で尋ねましたが、不明のままです。同じく作品を描いた太宰府天満宮には立派な絹本肉筆画が遺っていることが2003年に確認できて、2005年の九州国立博物館開館時には古都太宰府のイメージ映像としても活用されましたので、改めて捜索する機会を探っています。
虹映の最後の作品としては1943(昭和18)年に久留米市銃後奉公会の依頼で制作刊行された「祈皇軍武運長久 銃後の久留米」と題され忠霊塔や忠霊鎮護地などが描かれた絵葉書セットもあります。発行年の記載は無いものの、印刷の紙質などを比較すると「筥崎宮」セットと同じで、印刷用紙が配給制になって以降の発行であることは確認できます。
前田虹映は、現在の西鉄天神大牟田線が大牟田まで全通した際(1939年)には沿線の三都、福岡市・久留米市・大牟田市の観光パンフレットや絵葉書セットを手掛けており、中でも久留米市は観光協会の依頼で様々な作品群を描き残しました。これらの絹本肉筆画は観光協会のあった商工会議所内に掲出されていたそうですが、終戦間際の1945(昭和20)年8月11日の久留米空襲ですべて消失しました。
虹映が遺した100点余の鳥瞰図作品、その最晩年は福岡県内の作品でした。1943(昭和18)年後半以降、仕事の依頼は無くなって虹映は故郷・柳井の実妹宅に身を寄せ(自身の家族は大阪府池田市居住)、軍需工場に勤めてそこで肺を患い病没したとご遺族(2023年2月に亡くなった長男・稀さん談)から伺いました。
虹映の作品は福岡市博物館などに収蔵されており、師匠・吉田初三郎の絹本肉筆画とともに頻繁に企画展示されています。また、2019年9月に開業したJR九州「THE BLOSSOM HAKATA Premier(ザ・ブラッサム博多プレミア)」では「福岡市観光図」が大浴場(男湯)の巨大壁画に採用いただき、長男・稀さんも喜ばれました。(上の画像はホテル公式)
ご遺族・稀さんの生前の遺言に沿って、前田虹映公式サイトの運営などを継承し、絹本肉筆画や資料の発掘や活用提案なども継続しています。