
1925(大正14)年4月、福岡市最初の飛行場が開設されて東京ー大阪ー福岡の航空郵便が始まった。
入船町(現在の福岡市中央区港2丁目付近)に建設していた水上飛行場の格納施設が初飛行には間に合わず、当初は百道海岸の仮施設を使っての運行開始だったらしい。
1950年代に発行された福岡市の写真帖には正確に「百道海岸」の説明書きがあるが、これがその後に発行された書籍になると写真は「入船町」施設だという説明が大半になる。写真をよく観察すると、航空機の背後には西公園が後方に写っているので編集者らの怠慢だと思う。
以下は手持ちの西公園から福岡城址方向をみた絵葉書に写る入船町の格納庫施設(拡大)。

それから100年…なのだけど、福岡市では関係者?は誰も気づいていないらしく、メディアも同じようだ。同じように、来年2026年に100周年を迎える千歳市が「空港開港100年」特設サイトを設けるなど、大々的にPRしているのと比べると、福岡市はやっぱりピントがズレている。
そういえば、昨年2024年1月に「福岡市初の都市公園」である水上公園が100周年を迎えたけど、
誰も気づいおらず、もったいないので西日本新聞で記事にしてもらった。

当時の飛行機輸送は貨物中心で人はおまけ、そして水上機が中心。
上の絵葉書は名島水上飛行場に着水する水上旅客機。
次は、1930年春に開設された名島飛行場(福岡市東区)、絵葉書がたくさん残っている。
飛行場開設当時はまだ多々良村で、福岡市ではない。

そして1936(昭和11)年6月、当時の糟屋郡和白村(現福岡市東区)に開設されたのが福岡第一飛行場(通称・雁ノ巣飛行場)だ。これも開設記念の絵葉書セットなどが手元にある。

そして、今年は福岡空港も開設80年…。1945(昭和20)年5月に福岡空港の前身・陸軍席田飛行場の滑走路が完成している(学徒動員による滑走路等の整備)ので、福岡市の空港100年と併せて何かしらPRすればいいのに、こちらも気づいていないのが少し悲しい。福岡空港の公式サイトでは滑走路がいつ出来たかには触れられていない。

記憶を辿ると、2014年にはKBCドォーモ「戦争遺産」シリーズで席田飛行場(板付飛行場=福岡空港)も取り上げて、その時には中学生として勤労奉仕で滑走路整備に従事した方などに出演していただいた。
ノスタルジーというわけでなく、周年というのは先人の努力や活動を含めて見つめ直す機会なんだと思っている。資料を収集しているのも、雁ノ巣飛行場の記録を留めようとした先輩研究者らアーカイブスの先達に敬意を払いつつ、改めて光を充てるきっかけを作るため…。
私もまだ一般的な定年前で、日々の仕事に追われる中で大切な記念日や周年もついつい忘れたり、見過ごしてしまう。とりあえずのメモ代わりのブログ投稿♫
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