
大河ドラマ「べらぼう 〜蔦重栄華乃夢噺〜」2025年4月20日の放送で安田顕演じる”平賀源内”が獄中死。関連番組では源内の故郷・さぬき市志度町が紹介されて、やすけんさんが現地を巡る番組も視聴した。それで思い出したのが、今年6月で没後80年を迎える鳥瞰図絵師・前田虹映が描いた『讃岐志度寺図絵』折本だ。
手持ちの前田虹映資料を取り出し『讃岐志度寺図絵』折本を久しぶりに広げてみた。
図中には源内の生まれた家も見える。志度町全体の街並みや施設配置がわかる鳥瞰図は、土地勘がなくてもイメージできるのが良い。
画面中央右寄り、志度寺などが描かれている中に源内のお墓も描かれていた。
当然ながら鳥瞰図裏面の観光案内にも平賀源内の解説がきちんと掲載され、源内ゆかりの銘菓なども紹介されていた。
さぬき市志度町の「志度音楽ホール」に掲額されている『讃岐志度寺図絵』絹本肉筆画を見学取材し志度寺などを訪れたのは、記録を確認すると2006年11月18日だった。(以下2点は肉筆画を撮影したもの)
掲額された絹本肉筆画、現地で確認してから19年になるけど今も展示されているんだろうか?検索すると志度音楽ホールは今もあり「源内音楽ホール」という名称になっていた。
虹映の師匠・吉田初三郎を「昭和源内」と評したのは、日本古地図学会の初代会長・故師橋辰夫氏だ。今回の大河ドラマでの安田顕さん演じる源内を観て、鳥瞰図だけでなく多彩な作品を遺し、面白みのある文章をたくさん書き、気に入った観光地や名物の売り出しに熱中したり、神社の創建発起人になったり(犬山市の桃太郎神社)と、確かに初三郎を「昭和源内」と言いたいのも理解できる。
1945年6月8日の前田虹映没から間もなく80年、命日までに息子(故・前田稀)さんから引継ぎ管理している『前田虹映公式サイト』を全面更新予定で、毎週末は未デジタル化作品のスキャン補正を少しずつ進行中…。2025年は”初三郎代理”としても活躍した虹映が没後80年、吉田初三郎が没後70年、そして吉田朝太郎(二代目初三郎)が2000年の逝去から25年の節目だ。