うめと愉快な仲間達

うめから始まった、我が家の猫模様。
犬好きな私は、チワワの夢を見ながら、
今日も癖が強めの猫達に振り回される。

花より、生き物?

2023年05月06日 | 日記

ゴールデンウイークだからといって、

楽しい予定は、まったく無いのだけれど・・・

 

おはようございます。

もうすぐ終わると思うと、

涙がちょちょぎれそうになるのは、なぜだろう?

GWが終わっちゃうくらいなら、死んだ方がマシだ!

というほどに、惜しくなるのは、なぜだろう?

楽しいことなど何もしていないというのに・・・。

 

とはいえ、

ここは、歩いて行ける名所がある。

『八つ橋かきつばた園』だ。

しかも、毎年GW中に、かきつばた祭りが開催される。

この時期は、CBC(地方局)が撮影に来るくらいの名所なのだけれど、

隣町の人々でさえ、

「かきつばた園?知らん」

と言われてしまう程、ひっそりとしている。

 

お寺の境内にある庭園のあちらこちらに、

かきつばたが咲いている。

それを、歩きながら眺めるという、実に大人なお祭りなのである。

たこ焼きやチョコバナナの出店などは一切出ない。

唯一、外部から出店されるのは、盆栽売り場だ。

実に大人なお祭りだ。

 

だからか、野生のカモも警戒心をすっかり解いておられた。

かきつばたの生える水場で、

 

凄く近いのに、全然こっちを気にしない。

 

もっと、近付いてきたー!

可愛い!!

 

イトトンボも久しぶりに見た気がする

もう、この際、盆栽もじっくり眺めて、

ゆったりと過ごす時間を得られました。

 

すっと立つかきつばたは、実に美しいが、

我が家にも、すっと立ってる猫がいる。

のん太「かかぁ、みじゅ!」

トイレの水が飲みたい、のん太。

 

猫にしておくには惜しいくらい、

実にすっと立っているけども

 

のん太「あぁ、飲んら飲んら。」

ご満悦な顔は、

 

なぜか、悪ーい顔だな。


癖の話

2023年05月03日 | 日記

大型連休中となると、

日にちの感覚は2日で消え、

曜日の感覚は3日で消えます・・・。

 

おはようございます。

そんな中、知らんかったわ!

もう5月だなんて!!

ポンままさんのうちの子カレンダー、

5月はこんな色鮮やかなお花と、あや&おたま。

映えますね~、あやの顔が。

ありがとうございます。

ここしばらく、私は言葉を失っている。

ポンままさん、祈っています。それしか出来ん。

 

そして今朝も、別の意味で言葉を失った。

久々に、髪を短く切ってもらったら・・・

 

久々に、寝ぐせも凄まじかった。

髪には、生え際に向きがあるらしいが、

私の生え際は、

「どこもかしこも、頭皮に直角に生えています。」

と言われるだけあって、短くすると、こうなるらしい。

分け目着けるために、ポマード買うか。ポマード。

 

そんな我が家のおたまも、寝ぐせの癖が強い。

今回は、別角度からの寝ぐせの癖。

ズレて落ちそうなベッドに、素晴らしいバランスを維持して寝ている!

 

なにも、ここで寝なくてもよくない?

 

こっちも、心配だ。

これで、寝ているの?

まったく動かず、ずっとこうしてるけど、眠っているのかい?


譲られたカメラ

2023年05月01日 | 日記

3月下旬、

まるで、猫を拾ったきっかけみたいに、

カメラが替わった。

 

おはようございます。

我が家じゃ飼ってやれないから、実家へ連れて行くと、

テーブルの上にちょうどカメラが飾ってあったから、

私は咄嗟に、そのカメラで拾った猫を撮った。

そのまま、父は私にそのカメラを譲った。

 

カメラを買うことが趣味な父だけあって、小さなカメラながらも高性能だ。

父が撮った猫の顔も私の顔も、見事に歪んでいた。

長い間、野良暮らしをした猫は、事故か虐待か知らないが、

右目が潰れ、顔が歪むほどの酷い目にあったのだろう。

私の顔は、若い頃から顔面神経麻痺を拗らせて麻痺が残ってしまった。

そのせいで、顔が歪んでいる。

顔が歪んだからとて、生きるに困ることは無い。

ストローで上手く吸えないとか、麺がすすれないとか、口笛が吹けない程度のことだ。

自分の顔を撮られるが嫌だと思うのは、私の心の問題であって、生きるに困る訳じゃない。

自分で自分を、少々生き辛くさせているだけのことだ。

 

私のそんな歪んだ思いなど知らない父は、

私と猫を何枚も写真に収めてから、私にカメラを譲った。

「俺は、もう撮るもの無いから要らん。」

父は、そう呟いた。

けれど、カメラに残されていたデータは、

すべて実家の中か、ベランダから撮られた写真だ。

年老いたせいで外出しなくなったから、という訳ではないだろう。

私は、

「ベランダからカメラを構えれば、今だって夕焼けは撮れる。

これからは、猫だって、いつでも撮れるじゃない?」

と伝えようとしたが、言えなくなった。

カメラの液晶画面に、次々と写り出される画像をコマ送りのように観ていたら、

そんなことが言えなくなったのだ。

 

母さんが毛糸で編んだクッションやマット、コースター。

今より、うんと子供っぽく笑う姪っ子達。

そのまた次は、母さんが編んだ、猫ベッド。

その合間に、夕焼けや虹。

 

父さんが残した画像は、どれも色鮮やかなのに、

母さんが編んだマットは、今じゃすっかり色褪せてくすんでいる。

老い痴れた母さんは、もう編み物は出来ない。

弾ける笑顔の姪っ子達は、もしかすると、

もう一生ここ(実家)へ来ないかもしれない。

その原因を作ったのは、父さんだ。

母さんの認知症が進行するにつれ、

父の酒癖は、母と歩幅を合わせるように酷くなっていった。

ついには、姉の家にまで電話を掛けて、暴言を吐くようになった。

電話の相手が姉だろうが、姪達であろうが、酷いことを言った。

そのせいで、姪達は遊びに来るどころか、もう電話にさえ出ない。

それは当然のことだ。

 

だから、もう撮るものが無い。

私とチャー坊じゃ、シャッターを切る気にはならないのだろう。

嫁ぎ先から、顔を歪めて戻ってきた私を見て、

嫁ぎ先に殴り込みに行くと涙ながらに激しく怒った父を私は知っている。

チャー坊に、毎日のように、

「もう大丈夫だ。ここは誰もお前を虐めたりせんからな。」

と語り掛けていることも、私は知っている。

父が、私とチャー坊を撮る気になれない優しさを知っている。

だから私は、父の胸にある、

沢山のどうしようもない切なさを、もっと知りたいと思っている。

 

『2018年、ベランダからの夕焼け』

 

『2019年、かずこが編んだ帽子』

 

おぉぉ、可愛いのんも残ってるぞ

たれ蔵、ジジババ保育園時代

 

しおちゃんと、のん太(あの頃はからし)