Rikoの再建日記~気ままな恋文

病期3の乳がんから自家組織再建、リンパ浮腫治療、抗がん剤後の薄毛治療など、心身共に毎日が昨日からの再建って感じの日々♪

忘れられない言葉~夢叶守

2011年03月03日 20時35分13秒 | 乳がん

出来る事なら・・・・・・

出来るだけ長く健康に生きていければ、それに越したことはないのかもしれない。

 子供や孫の成長もみて、楽しく、暖かく、笑い、悩みや嫉みや、不の気持ちから開放されて、穏やかに、そして少しだけアクティブにずっと、ずっと・・・・

永遠の時間の中を泳ぐように、長く生きたいと思うこともまた、

多くの人の願いではないか、とは思う。

でも、大きな病気をし、周りにも大病をした人がいたりすると、そんな風に願う気持ちを持ち続けることも、ちょっとだけ辛くなる。

というか、別の気持ちに変わる柔軟性っていうのを、人の心はもっているのかもしれないなぁ。

 

 乳がんになって治療を続けてきた中での私の心の変化。

長く生きること(のみ)にそれほど執着はないの。(あくまで、それほど・・・ね、で、この長くってのも抽象的な意味ね)

 ネガティブな思考ではまったくなくて(←ここ、分かってね。)自分の病状をしっかり把握した時から、
再発・転移というのは、こころのどこかで覚悟している。その先の最悪の事態も想定しておかなきゃ、「絶対無い!」なんていう一方向だけを信じていても、
その方がきっと苦しい。
だって、前向きってそんな良いことだけを想定することのみとは限らないと思うし、、最悪を想定して、その時でも向き合う気持ちも、また一つの前向きだと思うから。

私には、再発・転移も充分あり得るのだ、その思いを片隅にでんと陣取らせて、
その上でさらに今を、その後を楽しまなきゃ、そりゃ~いざって時、うろたえるだろうけど(再建手術前でもうろたえているくらいですから

それまでの時間充分に私らしく弾けた。そして、頑張ってせいいっぱい充分闘った!

その思いを支えに次のステージにいける気がする。

 

次のステージ・・・・・

さて、冬仕度かな。時には木漏れ日の暖かな日もあるさ。
嵐の時は側にいて。静かな時間は二人で同じ夢をみてるのかな。
このごろ、よく寝るね。
そんな、人生の最終章の幕が上がるまでは、私らしく、私が大好きな綺麗な生まれた時の私の姿のままこの人生を謳歌したい。そうすべきなんだ!
乳がんオペ後、ずっと忘れていたはずのある先生の言葉が何度も私のこころを過った。
それは、同時再建をお願いしていた先生(正輝)の、最後に手術をどうするか決断をする時の診察の際の言葉。

(注意)私は今の乳腺の主治医、最初に見てもらった彼の事をブログでは達也と呼んでいます。

同時再建をお願いしていた、いずれ私の主治医となるはずだった大学病院の先生のことをブログでは正輝と呼んでます。

  
以下、その頃の忘れられない正輝との会話。

正輝は言った
「確かに、蒔絵さんの状況では、同時再建はあきらめ、先ずはきれいに、全摘をして、胸筋内の腫瘍をできるだけ綺麗にして、その後放射線で叩くというのは、正しい判断です。達也先生は間違ってませんよ。
でも、これは、ちょっとあえて言わせてくださいね。」

正輝はとても穏やかに、私に膝を合わせて話してくれた。

「前に、僕の患者さんで・・・・同時再建手術から結局1年半で旅立ってしまった方がいました。その彼女は、僕の手をしっかり握り、最後にね言ったんです、

「先生に綺麗に手術してもらったから、喪失感も自分が乳がんであることも忘れて、楽しい1年半を生きれました。ありがとう」
と。」


正輝は多くの乳がん患者を見てきた中から、人間として、女性として、ありのままのうまれたままの姿でイキイキと残された時間を過ごすという生き方もありなのですよ、と。それだけ、喪失感というものは人によっては深い闇の時間になってしまう事があること、乳がん患者を何千人も一番側で見て知っているからこそ、私にそんな話をしてくれたのだと思う。

これはあくまで、その患者さんの話で、私の余命が1年半とか2年とかそんなことをいってるわけではまったくなく、ただ、そう楽観もできない病状の中、この感謝しながら旅立っていった彼女の生き方、価値観に近いものを私が持っているのではと、
正輝はそれまでの私の診察の中から感じていたのかもしれず、医師としてはギリギリの判断でお話ししてくれたのでしょう。
そんな、正輝の話を有難いこととうけとめ、それでも私は、当時、同時再建を諦め、先ずは命をえらんだ。全摘・放射線と何でもしようと。

しかし・・・ 術後、何度も、この見も知らない、正輝の患者さんが私の脳裏に出てきた。 1年半、きれいなまま、明るく生きた、何より乳がんであることを忘れるほど綺麗な胸を、手術と同時に手に入れ、自分が病気ということと決別しながら、生きた時間。彼女の1年半。 私は自分の手術後ずっと彼女のことを思った。 あのとき正輝が話してくれたこと、
あの頃の自分は死なんて、怖くて考えられなかったけど、現実に胸を無くした私は、自分が乳がんだと思い知らされた。

喪失感って、胸そのものでもあるけど、健康だった自分の喪失でもあった。現実の姿がリアルに私に病気の現実を知らしめた。


あの時の正輝の助言が自分らしく生きるための選択のきっかけを作ってくれたと思う。 長く(ここは何度も書くけど抽象的な意味です)生きなくても、私らしく、充実の時間を大切に生きたいと思う私がいる。   

術後1年検診をクリアして、放射線をあてた私が再建が出来ると確信したとき、先ずは早くしたかった。

それは、より私らしい時間をすこしでも多く、生きたいから。だから、なんだかんだ色々書いているけど、やっぱり7日のオペは待ち遠しい。

この日にオペを決めたのは、放射線終了1年は最低再建までの期間を空けるというセオリーを守って、そこから逆算した最短の日なのです。

放射線終了が昨年の今日3月3日。その4日後を私はオペの日にした。それだけ、早くしたかったて思いなの。

この3月3日の今日きちんとこの思いを書けて良かった。ホントに良かった。

 

それでぇ~~~こんな殊勝なこと言っていて、

再建して、調子にのって自分が乳がんであることとか忘れたら、全然長々と生きちゃったりして

 

私はそういう女子です。

 

きゃはは~~~ 

平均寿命を楽々通過して、通販のゴムズボンをご愛用しちゃってたりしてぇ~~~

 

 

本当に・・・・

あの時、命を優先して全摘を選択し、やるべき治療をしたからこそ、今、正輝が話してくれた患者さんの思いにも心から共感できるのだと思う。

私の選択は正しかったと思っていることが、今は誇りかなぁ。

 

そして、そして・・・そんな私に、今日大切なサクララ友人のポーさんから、まさに今の私にぴったりのお守りが贈られた。

「夢叶守」

この3月3日にこれが届いたのは、何か深い縁・・・・・・乳がんと私とそれを乗り越える支えとなってくれたネットの世界で出会った多くの同病のお仲間との深い深い縁を感じます。それはまた、私と乳がんとの運命のような気がする。皆さんとの出会いが私の治療を支えてくれたし、再建への道しるべにもなってくれたし、本当にこのサクララなしでは語れない日々。そしてこれからでしょう。

そんな思いをこの胸にいっぱいつめこんで夢叶えてきますよん私らしく生きるという「夢」のパートナーをゲットしてきます!!

夢叶えますよ~~~~ 

 

さあ!イザ!明日入院してきま~~す!

PS

入院先からも、携帯で更新していければと思ってます なんせ暇だと思うので・・・・・