Rikoの再建日記~気ままな恋文

病期3の乳がんから自家組織再建、リンパ浮腫治療、抗がん剤後の薄毛治療など、心身共に毎日が昨日からの再建って感じの日々♪

三月の縁(えにし)

2011年03月28日 12時37分20秒 | 乳がん

昔はね、三月ってあんまり好きじゃなかった。肌寒さだけが、中途半端な挫折と切なさだけを刺激して・・・・
桜の蕾も素通り、陽射しと風に舞う花びらより、夜の青山墓地の桜の方がぞくぞくして心落ち着いた。

そんな小娘だった。

それから、いくつもの春がきて、

乳がんになった私はそんな三月に深い縁(えにし)が出来た。

今は陽射しの中に揺れる満開の桜を眩しく美しく愛の形を描き重ねる心がある。

そんな桜を待ちわびる三月。私の三月の縁(えにし)。

 

3月は術前の抗がん剤を始めた治療開始の月。そして脱毛の月。2年前の事ね。

明日から髪が抜けていくっていうその日に、支えられるようにそっと桜の蕾を見に行った夜。

2回目の投与は白血球が足りず延期になったなぁ。その帰り路、大川のほとりにより、帽子のひさし中の瞳で満開の桜を見ながら

貧血で倒れたっけ。(延期になるくらいなんだから、とっとと車で帰ればいいのに、あの頃は、あぁ、さ・く・ら・・・もう桜なんてぇ~よょ・・・って感じさ~)

で、屋台のにおいに吐き気までしたっけ。そんな乳がん治療の日々だったなぁ。

私の術前ケモが順調に進めば、その1年後の3月(つまり昨年)に放射線が終わるなんていうスケジュールにはならなかっただろうに・・・

副作用でオペが延期になったりなんだかんだで、放射線を終了したその日は3月3日。

そして、春の訪れ という記事でも書いたけど、1年前の今日3月28日は東京でマチ桜のオフ会のあった日。

私が再建をしようと決めた日。不思議なめぐり合わせと必然を感じる。

その日から1年。私は今、再建手術を終え、笑っている。

でね、ちょっと記念撮影!

どうせだったら、昨年3月3日の放射線終了の時に撮った写真と比べたいから、同じかっこうで撮ってみちゃった!!

ビフォアー・アフターね

これが、昨年3月3日。髪はやっと出てきたってレベルね。

放射線のマーキングもそのままに最後の照射を終え病院から帰ってすぐにやったぁ~~!の記念撮影よ。首も肩先も、見えないけど当然胸も、赤黒く焼けていたわ。ここはその後、頑張ってシスレーつかって綺麗にしたのよん

それとリンパをカクセイした脇のくぼみも気になっていたところ。ここにくぼみがあると、洋服着ても襟がゆがむの。どんなに胸をパッドで補整しても、ちょっと響くのよね。きものもそうだったなぁ・・・・。

まぁ、この頃はそんな事も思い至らないほど、とにかく終わったことにほっとしていたんだけどね。

 

そして、「再建をしようと決めた昨年3月28日」からちょうど1年の今年の今日の私。

特上ユンケル様のおけげで、何とか写真とってもいいか~と思える体調さ~~

今日は再建手術からちょうど3週間目。これも小さな偶然ね。

まだ少し腫れているし、体調悪かったせいか身体全体に浮腫みもあるけど・・・・キズが見えなければどっちがオペした方か分からないくらいでしょ~~

気になっていたリンパカクセイの後のくぼみもかなりフォローして頂きましたよん!それが解るように首を傾けたつもりだけど、ずるずるクッションのほうへと・・・全体に傾きすぎや!腹筋はありますよん

髪の毛は、伸びない!薄い!といいつつ、そりゃ~1年たっているのですから、なんとかやっぱ比べれば伸びているわさ~~ 比べてみて少しは安心した~~普段はきずかないものね。

そんなこんなで、毎年、これからも、この三月を笑って生きていきたいな~~って、思う。

三月はいつの間にか私の好きな月になっていた。

 

みんなが、桜の蕾に夢を見れる・・・・・・そんな三月を。

この2年を越えた今年、岡山という地で再建した。再建の術後の中、命の鼓動を聞きながら目にした東日本の大災害の惨状。一瞬にして失ってしまった命の重さと儚さ。動揺に包まれながら聞いた血流の音。その間に交叉した私の思いもまた、私がこれから生きていくための貴重な経験として、いつの日かあの眠れぬ夜も前向きに受け止められるよう、この身体と心のひだを大切にいきたい。

この蕾が綺麗にいっぱいに開きますように・・・・・

 

 

 追記

再建術後3週間目の今日は、まだイナバウアーのポーズはとれませんが、ラジオ体操の「大きく息を吸ってぇ~~」のポーズくらいならできるようになりました。くりりんちゃんがお見舞いにきてくれた時はまだおばあさんのように、腰をかがめてちょこちょこ歩いていたのにね