皆川博子著『ゆめこ縮緬』は、大正時代から昭和初期あたりを舞台にした幻想短編集。
八つの物語は独立した作品としても読めるが、すべての短編が最終話の「ゆめこ縮緬」に還るので、全部まとめて一つの作品としても読むことも出来る。
収録作は、「文月の使者」「影つづれ」「桔梗闇」「花溶け」「玉虫抄」「胡蝶塚」「青火童女」「ゆめこ縮緬」の八編。
“行き場を追われた魔性、化生が、中州に寄り集まってくる”
温気の揺らめく雨上がりの中州、薄汚れた隔離病棟、纏わりつく濡れた黒髪、熟れた桃の汁、薬液漬けの蛇、白い振袖を着せられた西洋人形…それは官能と禁忌のイメージが点滅するひどく居心地のよい地獄なのだった。
この中では「文月の使者」「花溶け」「青火童女」が特に私好みだった。
「文月の使者」は、短編集のトップバッターとして入り易いユーモラスな作品だが、根底に流れる狂気は皆川博子ならではだ。
この作品の持つ仄暗く閉鎖的なイメージが、全作のそれを決定づけている。
「指は、あげましたよ」から始まる物語は、最初から不穏な空気を帯びている。
ちょっとしゃがれ気味の、それでいてなまめかしいその声は、空耳、いや聞き間違えだろうか。なにしろ、振り向いた時は姿がなかったのだから、想像をたくましくするほかはない。
主人公の書生が女橋を渡り中州を訪れる。
前日の豪雨で濁った水が、桟橋を洗う。その板も腐って黴とも青苔ともつかぬ錆色まだら。水かさが増した川面には芥が漂い、杭に引っかかって、鳰の浮巣のようだ。
湿った温気が地面から立ち上る。頭上からは日が照り付け、すべてのものが揺らいで見える。そんな中を書生は水を吸った小枕を抱えながら歩く。枕紙に滲む墨の文字は、とけた黒髪 水面を走る、と読める。何でそんなものを抱えているのか。
腐った板を踏みぬいた書生は、危うく川に落ちるところを中年女に救われる。
指は…確認するまでもない。がさつな声の女だった。
渡しは当分出そうもない。書生は女に伴われ、煙草屋で時間を潰すことになる。
煙草屋の老人は、女の舅らしい。老人は枕紙に目を凝らすと、「とけた黒髪…を喰らう」と呟いた。何を喰らうと言ったのかは聞きそびれた。書生は「水面を走る」と訂正しつつも、何か喰らう、と書いてあるような気もするのだった。
“――まさか珠江が使った枕じゃあるまい…。”
書生は、女と老人に自分が三年前、友人の弓村を見舞うために初めて中州を訪れた時に遭遇した怪異について話し始めるのだった。
珠江は雨宿りをさせてもらっただけの、ゆきずりの相手だった。
手も触れず、唇を合わせたわけでもない。好きな男が出来ると髪が伸びて相手の首に絡みつく、なんて話もからかっているのだと思っていた。綺麗だなとは思ったものの、格別惚れたわけでは無かった。そもそも女ですらなかったのだし。惚れ返さないのはそんなに惨いことなのだろうか…。
長い髪の毛が、捨てても捨てても絡みついてとれないのは事実。散切り頭の賄い婦が、三度三度の食事を運んでくるのも明らかなのだ。それなのに、医者にも弓村にもそんなものは見えないと言われてしまう。それらが見えるうちはここから出られない。
誰が生者で誰が死者か。誰が人で誰が化生か。
時の澱んだ中洲ではそんなことはどちらでも良いらしい。騒いで静まって、また騒いで、同じことの繰り返し。何も変わりはしないのだから。
「花溶け」は、泰山木の陰りのある白い花と香りに包まれた、白昼夢とも現実ともつかない光景を描いている。
伽耶は、少女の心のまま年の離れた産科の開業医のもとに嫁いだ。
結婚式の直後から心身の調子を崩している伽耶は、二階の座敷に飼い殺しの身である。夫は他所に女を作り、年上の義妹からの風当たりは強い。
早くに母親を亡くした伽耶は、父親の急死のあと、姉の嫁ぎ先に引き取られた。
父親は泥酔して玄関先で凍死していたのだが、姉は父を早く見つけなかった伽耶のせいだという。姉の夫は姉のいないところで伽耶を慰めたが、そこには邪な意図があったのだろう。その結果起きた不幸が、伽耶と夫を引き合わせることになった。
夢と現実を取り違えるほど愚かではない。そう伽耶は思っているけれど、彼女は明らかに現実から逸脱している。それはいつからだったのだろう。
夫となる人の病院で、処置を受けた時からか。
特殊な趣向の持ち主らしい(義妹は、兄は伽耶のような不運な人たちのために危険を冒していると言うが)夫に娶られることが決まった時からか。
或いはもっと前、赤ん坊の様にぐにゃりと縮こまっていた父親の死体を見た時からか。
伽耶は、日がな一日、自室の窓辺に腰かけて、隣家から漏れ伝うバイオリンの音に耳を澄ませながら、バラさんのことばかり考えている。
バラさんは本当の名をヴァレンシアという。露西亜から亡命してきた白系露西亜人だ。
白系露西亜人とは、十月革命で政権を奪ったボリシェヴィキに反対して亡命した露西亜人のことをいう。義妹は革命の戦禍を逃げ延びて来たバラさんの苦労と引き比べて、伽耶の不運はありふれたことだと罵るが、義妹の言葉など伽耶の心には刺さらない。
バラさん以外のすべてが伽耶の心にはしみ込まず、うわべを滑っていくだけなのだ。
バイオリンの音色が切なくて、伽耶の瞼が濡れる。
泰山木の花の散るさまはロマノフ王朝の落剝のようだ。二階から出られない伽耶と、隣家の一室に身を潜めるバラさん。二人は現実には顔を合わせたことはないのに、どこか別の世界で邂逅しているのだった。
「青火童女」は、収録作の中で最もエログロ色の強い作品。
荒れた屋敷、若衆の腐乱死体を描いた肖像画、青火、夥しい数の人形など、甘美で醜悪な道具立てと、手の込んだ構成。何より、ヒロインの玉緒の妖美な造形が圧巻である。
“彼にとって、現実は肌に荒い束子のようなもので、なぜ絹の夢よりも亀の子束子が値打ちがあるのか、皆目わからなかった”
主人公の舟也が紹介状を携えて中洲の病院を訪れる。
中洲には病院は一つしかない。「文月の使者」の主人公と友人の弓村が死ぬまで入院していたあの病院だ。入り口の石段を登りかねていた舟也は、老いた洋犬を抱いたやせ細った老人に声をかけられ、とある屋敷に連れ込まれる。
入母屋造り黒瓦、和風の屋敷の大玄関の左手に青い釉薬をかけた洋瓦の洋館が一つ。モダンな建築だが荒れている。薄紫の桐の花と、真紅の落ち椿。この佇まいには既視感があった。
富崎玉緒の家に初めて招き入れられた時は大階段を上った、と彼は記憶の中をさまよう。
彼は画家を志して上京したのだった。
郷里では神童と謳われたが、都にのぼれば十人並みの凡才。いっこうに目の出ない彼にしびれを切らせた生家から、もう援助はしないと縁切りを言い渡された頃、彼はまだ二十歳前ながら、偽名で描く煽情的な大衆小説の挿絵で人気を得た。しかし、これは大画伯の生誕をねがう郷里の望むところではない。画家の間でも通俗的な挿絵を描くのは堕落と見なす風潮が強い。
徴兵検査でいったん故郷に戻った彼は、肺湿潤の疑いで丙種不合格となり、追放されるように東京に戻ってきた。そうして、彼を贔屓にしていた通俗小説の大家から富崎玉緒を紹介されたのだった。
老人は彼を館に招き入れると、大玄関の広間を横切って、洋風の扉を開けた。
黴と湿気の匂いが漂う。天井の電燈をともすと、応接間のあちこちから発せられる視線は、すべて人形のものであることが分かった。
古びた這い這い人形、御所人形、芥子人形、三つ折れの姉様人形、市松模様の振袖を着たやまと人形。夥しい数の人形が所せましと並べられている。
玉緒の部屋にも人形が溢れていた、と彼は思い出す。
送ってくれる人がいて。そう、玉緒は言ったのだった。その時、配達人が包みを届け、玉緒は彼の前で開いた。桐の箱に、身の丈五寸ほどの童女姿の御所人形が収まっていたのだった。
正妻でありながら〈罪人〉として、侘び住まいを強いられる玉緒。彼女はまだ十三歳である。
画材はこれ、と玉緒から見せられたのは、若く美しい陸軍士官の写真であった。
玉緒の夫ではない。夫は四十から五十くらいの肥満した紳士だ。陸軍士官は玉緒の長兄だった。玉緒はその兄を前髪の若衆姿にして欲しいというのだ。
“ざっくりと、切り傷をつけて頂戴。肩から袈裟懸けにね。乳のあたりまで”
陸軍士官を描き終わるまでには一月余りかかった。
途中で玉緒が口出しするからである。漸く擱筆した時、前髪の士官は、顔面の肉が落ち、眼窩はくぼみ、半顔髑髏、残る半面に美男の面差しの名残をとどめ、肩口ばかりか腹まで達した傷が膿み爛れ、青紫や朱紅、金までまじえた腐乱の華が半裸を飾っているのだった。
「送られてきたものだ」夥しい人形を差して、老人は言った。
毎年、一つずつ、大晦日の夜に、便りを携えて人形は届けられる。うない髪にした青い振袖の人形を老人は抱き取る。送り主が誰で、何処から贈られてくるのか。玉緒はなぜ〈遠流〉に処されたのか。老人は何者で、この家は誰の物なのか。それらが明らかになった時、老人と舟也の人生が一つの輪になる。『ゆめこ縮緬』という閉じられた円環の中の、更に小さな円環がこの「青火童女」なのだ。
人形のイメージを引きずりながら、物語は最終話の「ゆめこ縮緬」へと繋がっていく。
中洲の漢方薬屋“蛇屋”は本当にあったのだろうか。
中州とは、川の中において、上流から流されて来た土砂などが堆積し、陸地となった場所である。本来は土地ではなかったその場所には、土砂とともにあってはいけないものも集まってくる。そこは生と死、現実と虚構、正気と狂気、男と女、大人と子供、本来ならば線引きされているあらゆるものが混沌とした異界なのだった。
本書に収録されている八つの物語は、すべてチャーちゃんの叔母が書いた「お話」だったのだろうか。もしそうならば、ラストにおいてこの作品集は書き手自身によって火にくべられてしまうのだが。
縁側に並ぶ、祖母と人形が見守る中、次々に「お話」は灰になった。大きいチャーちゃんは燃え尽きた。その時、そこに棲んでいた人々、魔性、化生はどこへ旅立てたのだろうか。
八つの物語は独立した作品としても読めるが、すべての短編が最終話の「ゆめこ縮緬」に還るので、全部まとめて一つの作品としても読むことも出来る。
収録作は、「文月の使者」「影つづれ」「桔梗闇」「花溶け」「玉虫抄」「胡蝶塚」「青火童女」「ゆめこ縮緬」の八編。
“行き場を追われた魔性、化生が、中州に寄り集まってくる”
温気の揺らめく雨上がりの中州、薄汚れた隔離病棟、纏わりつく濡れた黒髪、熟れた桃の汁、薬液漬けの蛇、白い振袖を着せられた西洋人形…それは官能と禁忌のイメージが点滅するひどく居心地のよい地獄なのだった。
この中では「文月の使者」「花溶け」「青火童女」が特に私好みだった。
「文月の使者」は、短編集のトップバッターとして入り易いユーモラスな作品だが、根底に流れる狂気は皆川博子ならではだ。
この作品の持つ仄暗く閉鎖的なイメージが、全作のそれを決定づけている。
「指は、あげましたよ」から始まる物語は、最初から不穏な空気を帯びている。
ちょっとしゃがれ気味の、それでいてなまめかしいその声は、空耳、いや聞き間違えだろうか。なにしろ、振り向いた時は姿がなかったのだから、想像をたくましくするほかはない。
主人公の書生が女橋を渡り中州を訪れる。
前日の豪雨で濁った水が、桟橋を洗う。その板も腐って黴とも青苔ともつかぬ錆色まだら。水かさが増した川面には芥が漂い、杭に引っかかって、鳰の浮巣のようだ。
湿った温気が地面から立ち上る。頭上からは日が照り付け、すべてのものが揺らいで見える。そんな中を書生は水を吸った小枕を抱えながら歩く。枕紙に滲む墨の文字は、とけた黒髪 水面を走る、と読める。何でそんなものを抱えているのか。
腐った板を踏みぬいた書生は、危うく川に落ちるところを中年女に救われる。
指は…確認するまでもない。がさつな声の女だった。
渡しは当分出そうもない。書生は女に伴われ、煙草屋で時間を潰すことになる。
煙草屋の老人は、女の舅らしい。老人は枕紙に目を凝らすと、「とけた黒髪…を喰らう」と呟いた。何を喰らうと言ったのかは聞きそびれた。書生は「水面を走る」と訂正しつつも、何か喰らう、と書いてあるような気もするのだった。
“――まさか珠江が使った枕じゃあるまい…。”
書生は、女と老人に自分が三年前、友人の弓村を見舞うために初めて中州を訪れた時に遭遇した怪異について話し始めるのだった。
珠江は雨宿りをさせてもらっただけの、ゆきずりの相手だった。
手も触れず、唇を合わせたわけでもない。好きな男が出来ると髪が伸びて相手の首に絡みつく、なんて話もからかっているのだと思っていた。綺麗だなとは思ったものの、格別惚れたわけでは無かった。そもそも女ですらなかったのだし。惚れ返さないのはそんなに惨いことなのだろうか…。
長い髪の毛が、捨てても捨てても絡みついてとれないのは事実。散切り頭の賄い婦が、三度三度の食事を運んでくるのも明らかなのだ。それなのに、医者にも弓村にもそんなものは見えないと言われてしまう。それらが見えるうちはここから出られない。
誰が生者で誰が死者か。誰が人で誰が化生か。
時の澱んだ中洲ではそんなことはどちらでも良いらしい。騒いで静まって、また騒いで、同じことの繰り返し。何も変わりはしないのだから。
「花溶け」は、泰山木の陰りのある白い花と香りに包まれた、白昼夢とも現実ともつかない光景を描いている。
伽耶は、少女の心のまま年の離れた産科の開業医のもとに嫁いだ。
結婚式の直後から心身の調子を崩している伽耶は、二階の座敷に飼い殺しの身である。夫は他所に女を作り、年上の義妹からの風当たりは強い。
早くに母親を亡くした伽耶は、父親の急死のあと、姉の嫁ぎ先に引き取られた。
父親は泥酔して玄関先で凍死していたのだが、姉は父を早く見つけなかった伽耶のせいだという。姉の夫は姉のいないところで伽耶を慰めたが、そこには邪な意図があったのだろう。その結果起きた不幸が、伽耶と夫を引き合わせることになった。
夢と現実を取り違えるほど愚かではない。そう伽耶は思っているけれど、彼女は明らかに現実から逸脱している。それはいつからだったのだろう。
夫となる人の病院で、処置を受けた時からか。
特殊な趣向の持ち主らしい(義妹は、兄は伽耶のような不運な人たちのために危険を冒していると言うが)夫に娶られることが決まった時からか。
或いはもっと前、赤ん坊の様にぐにゃりと縮こまっていた父親の死体を見た時からか。
伽耶は、日がな一日、自室の窓辺に腰かけて、隣家から漏れ伝うバイオリンの音に耳を澄ませながら、バラさんのことばかり考えている。
バラさんは本当の名をヴァレンシアという。露西亜から亡命してきた白系露西亜人だ。
白系露西亜人とは、十月革命で政権を奪ったボリシェヴィキに反対して亡命した露西亜人のことをいう。義妹は革命の戦禍を逃げ延びて来たバラさんの苦労と引き比べて、伽耶の不運はありふれたことだと罵るが、義妹の言葉など伽耶の心には刺さらない。
バラさん以外のすべてが伽耶の心にはしみ込まず、うわべを滑っていくだけなのだ。
バイオリンの音色が切なくて、伽耶の瞼が濡れる。
泰山木の花の散るさまはロマノフ王朝の落剝のようだ。二階から出られない伽耶と、隣家の一室に身を潜めるバラさん。二人は現実には顔を合わせたことはないのに、どこか別の世界で邂逅しているのだった。
「青火童女」は、収録作の中で最もエログロ色の強い作品。
荒れた屋敷、若衆の腐乱死体を描いた肖像画、青火、夥しい数の人形など、甘美で醜悪な道具立てと、手の込んだ構成。何より、ヒロインの玉緒の妖美な造形が圧巻である。
“彼にとって、現実は肌に荒い束子のようなもので、なぜ絹の夢よりも亀の子束子が値打ちがあるのか、皆目わからなかった”
主人公の舟也が紹介状を携えて中洲の病院を訪れる。
中洲には病院は一つしかない。「文月の使者」の主人公と友人の弓村が死ぬまで入院していたあの病院だ。入り口の石段を登りかねていた舟也は、老いた洋犬を抱いたやせ細った老人に声をかけられ、とある屋敷に連れ込まれる。
入母屋造り黒瓦、和風の屋敷の大玄関の左手に青い釉薬をかけた洋瓦の洋館が一つ。モダンな建築だが荒れている。薄紫の桐の花と、真紅の落ち椿。この佇まいには既視感があった。
富崎玉緒の家に初めて招き入れられた時は大階段を上った、と彼は記憶の中をさまよう。
彼は画家を志して上京したのだった。
郷里では神童と謳われたが、都にのぼれば十人並みの凡才。いっこうに目の出ない彼にしびれを切らせた生家から、もう援助はしないと縁切りを言い渡された頃、彼はまだ二十歳前ながら、偽名で描く煽情的な大衆小説の挿絵で人気を得た。しかし、これは大画伯の生誕をねがう郷里の望むところではない。画家の間でも通俗的な挿絵を描くのは堕落と見なす風潮が強い。
徴兵検査でいったん故郷に戻った彼は、肺湿潤の疑いで丙種不合格となり、追放されるように東京に戻ってきた。そうして、彼を贔屓にしていた通俗小説の大家から富崎玉緒を紹介されたのだった。
老人は彼を館に招き入れると、大玄関の広間を横切って、洋風の扉を開けた。
黴と湿気の匂いが漂う。天井の電燈をともすと、応接間のあちこちから発せられる視線は、すべて人形のものであることが分かった。
古びた這い這い人形、御所人形、芥子人形、三つ折れの姉様人形、市松模様の振袖を着たやまと人形。夥しい数の人形が所せましと並べられている。
玉緒の部屋にも人形が溢れていた、と彼は思い出す。
送ってくれる人がいて。そう、玉緒は言ったのだった。その時、配達人が包みを届け、玉緒は彼の前で開いた。桐の箱に、身の丈五寸ほどの童女姿の御所人形が収まっていたのだった。
正妻でありながら〈罪人〉として、侘び住まいを強いられる玉緒。彼女はまだ十三歳である。
画材はこれ、と玉緒から見せられたのは、若く美しい陸軍士官の写真であった。
玉緒の夫ではない。夫は四十から五十くらいの肥満した紳士だ。陸軍士官は玉緒の長兄だった。玉緒はその兄を前髪の若衆姿にして欲しいというのだ。
“ざっくりと、切り傷をつけて頂戴。肩から袈裟懸けにね。乳のあたりまで”
陸軍士官を描き終わるまでには一月余りかかった。
途中で玉緒が口出しするからである。漸く擱筆した時、前髪の士官は、顔面の肉が落ち、眼窩はくぼみ、半顔髑髏、残る半面に美男の面差しの名残をとどめ、肩口ばかりか腹まで達した傷が膿み爛れ、青紫や朱紅、金までまじえた腐乱の華が半裸を飾っているのだった。
「送られてきたものだ」夥しい人形を差して、老人は言った。
毎年、一つずつ、大晦日の夜に、便りを携えて人形は届けられる。うない髪にした青い振袖の人形を老人は抱き取る。送り主が誰で、何処から贈られてくるのか。玉緒はなぜ〈遠流〉に処されたのか。老人は何者で、この家は誰の物なのか。それらが明らかになった時、老人と舟也の人生が一つの輪になる。『ゆめこ縮緬』という閉じられた円環の中の、更に小さな円環がこの「青火童女」なのだ。
人形のイメージを引きずりながら、物語は最終話の「ゆめこ縮緬」へと繋がっていく。
中洲の漢方薬屋“蛇屋”は本当にあったのだろうか。
中州とは、川の中において、上流から流されて来た土砂などが堆積し、陸地となった場所である。本来は土地ではなかったその場所には、土砂とともにあってはいけないものも集まってくる。そこは生と死、現実と虚構、正気と狂気、男と女、大人と子供、本来ならば線引きされているあらゆるものが混沌とした異界なのだった。
本書に収録されている八つの物語は、すべてチャーちゃんの叔母が書いた「お話」だったのだろうか。もしそうならば、ラストにおいてこの作品集は書き手自身によって火にくべられてしまうのだが。
縁側に並ぶ、祖母と人形が見守る中、次々に「お話」は灰になった。大きいチャーちゃんは燃え尽きた。その時、そこに棲んでいた人々、魔性、化生はどこへ旅立てたのだろうか。
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